AIへの期待と不安

近い将来、AIにとってかわられるであろう職種が発表されたりしている。これを聞いて、戦々恐々としている人、自分の仕事を改めて見つめなおす人等々。

 

AIブームはこれまでにも何度か来ている。が、そのたびに、来ては去り、期待したもののそれほどでもなかったというのがこれまでのブームの結果。

ただ今回のブームはというと、将棋の電脳戦や、囲碁での初勝利などを受けての、ようやく本格的に…という期待。これを支える技術の一つとして、ディープラーニングという技術が非常に重要であるといわれている。

 

そもそも、ディープラーニングできる前提として、その「描く世界のルール」をソフトウェアとしてある程度表せている必要性がある。さらにその上で、「その世界のデータをかなりの数入力する」必要がある。こうしてある意味「がきんちょ」レベルまでにコンピュータを持ち上げておけば、そんな「がきんちょ1」と「がきんちょ2」が互いにその世界/ゲームに没頭しながら、そのゲームのエキスパートになりあがっていく。

リアル小学生などで適度なライバルがいて、そのゲームにずっぽりのめりこむことでその道のスーパー小学生が出来上がる状況と似ているのかな、と理解しているのだが違いはあるだろうか?その道のエキスパートに話を伺ってみたいのだが。

 

だから昨今の技術革新もあるのだろうけれど、その意味では私はそこそこに安心している。というのは、「ソフトとして書き表すことができる世界であれば」、近い将来AIに取って代わられる部分はあるだろう。けれどまだまだ実際のところは、ソフトとしてあらわすことがむつかしいところの方が多いのが事実。

ただ、いわゆる単純作業などと言われる、正社員じゃなくパートさんにお願いできるような作業などの多くは、ソフトとしてあらわすことが可能な作業。単純だけれど膨大な数を扱わなければならないという人間として面倒な作業で、いままで人間に嫌われてきた、であるがゆえに誰かに押し付けられていた作業こそが、実はAI向きの作業だったりするはず。

そう、「めんどくさい」とか、数が多い、確認項目が多いという「多い」をキーワードとした職人技と、本当に言葉に表せない、人間の直感や感性でしか再現できていないものとが区別されずにいること自体が、区別されるきっかけになる。これはこれで良いのかなと思っている。

 

想像し、創造する。難しい、けどできると楽しいこと。
人間が楽しいはずの事が、人間に残された仕事になるはずだと信じて。