その物差しのない世界

不安を煽る(あおる)ことで商売をする。あまり褒められたやり方ではない…かどうかは皆さんにお任せするが。

 

とは言え、実はほとんどの人々は、大なり小なりいろいろな不安にさらされていることも事実。そんなそれぞれの状況の中、自分が今、どのくらいの位置なのか?組織の中で、社会の中で、チームの中でのポジションを理解したい。もはや当たり前になりつつあるGPSで世界の中の位置を確認するかのように、今の位置を確認したい。であるが故の、「同年代の収入平均」の情報や、「ボーナス企業ランキング」などなど、ランキングを参考にして、あぁ自分はこのあたりか、もうちょっと頑張らなきゃ…とか、悪くない位置だな、ふむふむ…と頷いてみたり。

だがそうした位置づけの考え方は、実は「その指標」での位置づけでしかなく、他の指標ではもしかするともっと別の順位になることも当然あり得る。

 

ただ、ある指標がずっとずっと継続的に明示され実施され続けることで、「その指標自身」が時間により権威づけられていくというのも事実。そうなってしまうと、同系列の他の指標が、相対的に意味を持たないような錯覚に陥ることも。

これによって、誰もが「権威ある(かのように見える)指標」に頼り、組織が、社会が「その指標」にすり寄り、「その指標」を最適化、最高化しようと努力しはじめる。

裏を返せば、それ以外の「どんな指標で評価すればいいかわからない」からであり、「権威ある指標」に頼りたいから。極論を言えば、その指標を丸飲みした状況であり、他の価値観を放棄している状況なのかもしれない。

 

しかしそれは、あくまで「その指標」という一つの価値観でしかなく、みんながそれにすり寄る必要はないはず。その指標「にだけ頼る」こと自体が、「その他の評価値」を評価していないということ、違いを認めない、認識しないということ。

 

ランキング。どの分野でも、どんな項目でも、多くの人々がとりあえず目にしたくなり、そしてふーんと納得したりもする。が、それはあくまで「その指標」で判断した際の順位であり、それ以外で判断すると、別の順位になることはしばしばあり得ること。

特に多いのは、「今評価しやすいこと、できることが指標になっている」ということであり、逆に言えば「評価しにくいこと、今は面倒でやりにくいこと」によるランキングは作られにくいという事。判断基準として、誰もが一意に捕らえられない事によるランキングはできないのだ。

 

でもそれこそが実は「違い」であり、物差しはないのだけれど、「でも違う」という価値観こそこれから大切になるのではないか?そここそが「人」の価値の大切なところであり、それが「その人」であるのではないかと。

評価されないという事は、それを測る物差しを「使わない」ということなのか、それともそれを測る物差しが「今はない」ということなのか。

 

昔あった気がするなぁ。「違いが分かる男」なんてCMが。