マス メディアが増えると

人類創世記にまでさかのぼれば、その同時代を生きるすべての人々に、同じ情報を津々浦々まで届ける方法はなかった。できたとしても「長老」や「語り部」の人づて、語りで徐々に徐々に伝わる。なので、伝搬するにはかなりの時間がかかる。

これが、印刷の発明により一気に同じ情報を大量生産できるようになる。これによる伝搬スピードも一気に上がる。

のち、技術が発展し、ラジオ、テレビという放送が始まる。と同時に電話という通信も始まる。

そして現在、技術革新により、ネットという媒体を通じて、電波以外の方法でもラジオ、テレビが可能になり、個人間の通信も、一個人ではなく通信できるようになり始めている。

 

こうしたここ10年の技術革新により、媒体が増えたのみならず、手法を実現する費用も劇的に低減されている状況。

その結果。個人がWebページを開設したり、Blogを開設したりして、思いのたけを発表する事が可能に。文字のみならず、音声としては、PodcastやLivestreamingも。もちろん映像においても録画したものも配信できれば、映像のLivestreamingも可能になった。多少の知識と機材は必要なものの、「放送局」クラスの何千万円もしそうな機材は必要なく、最も安上がりにあげようと思えば、スマホ1つでも可能な時代。

このスマホのストリーミングを、何万人、何十万人という人が見始めている。裏を返せばそういった人たちの多くは「既存のテレビ番組」の規制に縛られすぎたものが面白くないと思い始めていたりして、結果ネットへと乗り出しているという事も透けて見える。

 

技術革新によって「マスメディア」が発展してきた今、それが進むことによりマスメディアを安く実現でき、大量のマスメディアになれる技術が流布することによって、マスメディアが「マス」に到達できるメディアでなくなりつつある現在。

 

みんなで「同じ」情報を楽しんだ時代から、「違い」が当たり前の時代、ひとつに偏っていてはまずく、いろんな媒体を渡り歩く必要が出てきた時代。どうしても旧来のメディアのみを信じたり、逆に新しいものだけに頼ったりしがちだけれど、どちらも危ないし、どちらも偏るし。

 

といったメディアリテラシー的なにかって、誰かに教えてもらえるのかね。わかっている狡猾な人に、からめとられていかないのかな。

意識ある大人の行動がとれるかどうか。
(という事自体が、マスに成りづらいんだけれど)