「やめる」選択肢

やめる。やめればいい。この世にあることで、絶対にやめたらだめだということは何一つないはずだと思っている。続ける努力は必要だけれど、やめられないなんてのはまずない。この選択肢を誰もが持っているはず。

もちろん、やめれば多大な迷惑が発生したり、今後に大きな障害が残るかもしれない。それでも、より大きなスパンで見てみると、結果的にやめる選択肢は意味がある事が少なくない。

この選択肢を選択させない…というのはどういうことか?選択肢からそもそも外しているとはどういうことか。それはそもそも、「目的」の認識が弱い人の労働を搾取していることにはなっていないだろうか?

 

 たとえば「かなりきつい仕事だけれどやめられない」という状況はあるだろう。でも「身体を壊すくらいまでやらないといけない」はずはない。なぜならそもそもそこで働く本来の目的が「生きていくためのお金を稼ぐこと」のはずだから。だから「死にそうなほど/生きていけなくなるほど働く」というのは、そもそもの目的に反しているはず。目的に合致しなくなったところで、「やめる」選択肢が必ず浮かぶ。

 

もちろん、「やめてしまった」ら、他に食い扶持を稼げないかもしれないという別のリスクも出てくるだろう。がそれは「別の」リスク。切り分けて考えないのが間違いでは?切り分ければ、それぞれに解があり、対処方法が広がる。

そうした考え方をどこまで考えているか、意識できているか。何も考えずにただ「働くから、働く」という状況にしていないことが大切。

考えましょう。それをなぜ「やる」のか、なぜ「やらない」のか。

あなたは、どうなりたいんでしょうか?