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寂しく見えても

正社員でも派遣でも、同じ職場で働いていた人が、何かの機会で退職するのを見聞きするのは、親しければ当然、さほど親しくなくてもなんとなく物悲しかったり、寂しかったりするもの。

 

でも、ときには寂し気に見えない事もある。本人の笑顔とともに送り出される時、この違いは何か?

 

それはその辞めていく人が、「その次のこと」に向かってキラキラしていたり、夢や希望を描いていることが見える時。まさに自分のやりたい道に進むとか、やりたいことの一歩を踏み出そうとしているときには、笑顔も伴って輝いて見える。

次に希望や期待があれば、現実は厳しくとも、目指すものに向かって、その先の光に向けて努力や我慢はできるもの。逆に、現実はそんなに厳しくなくとも、目指すものもなく、やりたいこともなければ、さてどうするか?とあまり浮いた気分にもならないというのも事実だろう。

 

日本は明らかに、「超高齢国家」への道を世界のトップクラスで走っている。今の日本でこれから老人になろうとするものは、今まで自分たちが見て来た親や祖父母の世代の対応のされ方を見て、「自分たちもあのように」という老後を期待するし描くのが普通。ある意味、約束された既得権として想像している人もいるだろう(誰と誰との間で約束しましたっけ?)。国も国で、「100年安心」の年金システムを唱えているものの、厚化粧に厚化粧を重ねた、実現確率が極端に低い超楽観的未来予測において、「大丈夫ですよ」と語りかけるのが精いっぱい。誰もそんな状況にならないだろう事は知っていて、すでに冷たい風がふいている状態か。

 

となれば、お金以外でのなにか別の「期待」を作る、見出す必要がある。これは国や自治体が作ってくれるのももちろんの事、今何もないのなら、「自分たちで」作ればいいだけの事。もちろん年老いて行く人においては若い時のように体は動かなくなるだろうし、体力も衰えるだろう。であるからこそ、それ以外のところでお役に立てるような「何か」。

人はこれまでも、知恵と勇気で乗り越えてきた。だから無いはずはない。それを、それぞれに役割として見いだせるのか。そういうことを探すといったトレーニングもあれば役に立てるのかも、かな。

 

いや、何もできませんよ、私には…と言うのはちょっと待った。あなたの持っている「あたりまえ」の力が、実は、他の誰かに役立つとしたら。そんな力を互いに交換できる社会。たぶん、今のシステムの先にありそうに思うのだけれど。

光を探して。