アクセルさえ踏めば

もうかなり時間がたつが、オートマ限定の免許というものが生まれて久しい。実態の数字はどこかにあるのだろうけれど、たぶんそれが発行されて以降、自動車運転の免許の多くがオートマ限定になっている可能性は高いだろう。

マシンの性能が上がったり、仕組みが変わったりしたことで、それ以前のマニュアル車という世界から、オートマ車というとても便利な世界が広がった。

 

マニュアル車、いわゆるギアの選択、クラッチが存在する車では、ギアを切り替えるためにクラッチを切り、ギアを切り替えて、またクラッチをつなぐ必要がある。慣れないと足がつる感覚さえ生み出しかねないこのめんどくさい動作なしに動くのがオートマ車。アクセルさえ踏めば順調に車が走り出す。

 

…であるがゆえに、いろいろと問題が起こっているのも事実。例えば、ブレーキとアクセスの踏み間違えで、意図しない発進が人を傷つけたり、モノを壊したり、場合によっては自分自身を危険にさらしたりする。マニュアル車の時代には、ギアとクラッチというめんどくさい仕組みがあったからこそ、単純にペダルを踏むだけ、踏み込むだけでは、まず間違いなくエンストして止まっていたはずの場合でさえ。

 

ある意味これはフェイルセーフ。が、オートマ全盛のこの時代になったことで、仕組み的なフェイルセーフが無くなり、これに対して「新たな」対策が必要だよね、と今いろいろと議論している状況でもある。

自分たちが生み出した「便利な装置」により、それ以前にあった「別の特性/利便性」がマスクされて、それを新たに作り出さなければいけない世界。

 

人々の仕事はここ20年、劇的に変わった。誰もがパソコンを使い、スマホを使い、ケータイを使い、頻繁に連絡を取りながら、短時間に大量の情報をやり取りしながら仕事が進んでいく。こうしたツールの発展、技術の発達によって驚異的に便利になった反面、仕事は過酷になり始め、激務にさいなまれる人も出てきている。たぶん心の病の一端を担っているのもこのあたりに原因があるところは少なからずあるだろう。

以前なら、こんなスピードで、こんな大量の情報をやり取りできなかったことで、(今のような原因による)心の病が生まれるシーンはほぼなかったのではないか。となると、利便性が生まれたことにより、以前は自然に歯止めがかかっていたところが、自然の歯止めが利かなくなったところ。

これを理解せずに、「どんどんアクセルを踏め!」という方向での加速、具体的には「単なる効率化」だけを求めていっても、そりゃシステムとして壊れるのは当たり前でしょ。

 

効率化、それもより短時間に、より大量に、しか言わない上司、言わない部署、言わない組織…。それこそが破滅へ向かってチキンレースに参加していることではないですか。アクセルさえ踏めばみんながけっぷちに向かってどんどん走りこんでいく。

で、どこでブレーキを踏むんでしょうか?ずっと踏み続けるつもりでしょうか?

 

年末が近づいている。忙しさもピークに達している人もいるんだろう。休みましょう、いったん。体を休め、心を休めて。潰れるために働いている人、いないはずなので。