回答、希望

対話、会話をしていると、質問に答えている時も含め、時々おかしな人にあたることがある。

「その人が期待する受け答え」「その人が期待する回答」が出てこないと、期限を損なう人がいるのだ。

 

分からないではないが、勘弁してほしい。苦手だ。

それは必ずしも会話、でないし、それら議題の「回答」でもないだろう。

 

議論しているとして、その「答え」とは、あなたの考えとは全く切り離されて、客観的な立場から見たものとして存在するもの。だから、「あなたが」思う答えに沿うこともあれば、もちろん違うこともあり得る。

「違うという事」、それはあなたの基準が今回の基準と違っていたり、勘違いしていたり、もしくはその基準レベルに達していないから。

 

落ち着いて考えてほしい。欲しい対応や「答え」とは、あなたを機嫌よくさせるためにあるのではない。(そう言う会話があるとすれば、それは太鼓持ちだろう)

 

ただしこれはあり得る。「そこ」に至る経緯はどうだったのか?

答えとは、ある意味「ゴール」であり、そこにたどり着くために、「経路A」でたどり着いても「経路B」でたどり着いても、それは基本的に問題はないとされることが多い。ただ、たいていどちらかの効率が非常に良いのだが、それ以外のメリットが存在することもあり得る。だから「経路」は「ゴール」とは別の話だ。

 

が、昨今は「経路」はあまり判断されず、「ゴール」のみで判断する。というのも「経路」はそれこそ無限に存在する可能性があり、判断に時間がかかるから。

 

時と場合による。だが、単純な答えで判断できるものごとはそう多くない。それよりも、時間がかかるかもしれないけれど、経路と行きつく先の双方の視点に希望を委ねたい。