聞きこむ時間

私は昔、ラジオをよく聞いた。聞いたというよりも、聞かざるを得ない環境があったと言っていいかもしれない。

小さい子供のころは、家でよくラジオがかかっていた。大人の都合、親の都合。後に自分専用の小型ラジオを買ってもらって、深夜放送もいろいろ聞いた。

大学においては、研究を進める中で、常に研究室や実験室では小さな音でラジオが流れていた。

 

ラジオとは、もちろん自分の気に入ったコンテンツを流してくれるところもあるけれど、そんなところであったとしても、「すべて」が気に入るものである保証はない。

だが、最初は気に入らなかったとしても、何度も繰り返して耳に入ってくることによって、結果的にとても気に入る音楽になることがある。

何度も聞きこむことによって「気に入る」ということ。

 

当然、当時は今のようなストリーミングサービスもないから、個人でCDを買ったとしても、それを何度も繰り返し聞くほかないのがほとんど。…であるがゆえに「聴きこんで好きになる」。

昨今のサービスのけっこうなものが、「より多くのモノが聞ける」ということを売りにしていたりするものだけれど、それだけでは生まれないのが「聴きこむ時間」。

繰り返し見たり、繰り返し聞いたりして、なんども刷り込まれるという「サービス」。…とかんがえると、やっぱりそれ、ラジオに帰着しちゃうのかなぁ。

繰り返すという事自体が、定着や愛着、そして改善の機会をも提供するところがあると考えるのですが。