存在、領域、最適化

モノと言えば、「物」と言う字が表す通りすべてが手に取れるところから始まって、実は我々の周りには、手に取れないモノがたくさん増えつつある。

昨今の経済は、実は手に取れないモノが動かしていると言っても過言ではないか。情報、これが動かす経済規模、社会規模はものすごく大きい。わかりやすいところでいえば例えば「株価」だろう。

 

そこに物理的なものは「ない」けれど、「ある」ものもある。国境などもその一つか。境目に線があるところもあれば、ルールとしての線しかないものも。

 

人と人の間における垣根もそうではないのか。

物理的に「別人」かもしれないけれど、同じ地域の人、同じ学校出身者、同じ国出身者、同郷等々、いくらでも「区分」の仕方があり、それに応じて「線」を引く。

それは言うまでもなく、「物理的な線」ではない。

心の中の、意識の上の、制度上の…線。

 

仕事でもそうだ。自分の役割、自分の責任、自分のテリトリー…。

これらをできるだけ「大きく」したい、権力を手にしたいという人と。

逆に、できるだけ「小さく」したい、面倒なことはしたくないという人と。

大きくしたい人は、誰かから何かを奪い取るだけではなく、得たものをいかにシェアするか。いかにみんなに分配するか。線を引くことで取り込むんだけれど、領域を拡大してみんなを引き込んでいく。誰かのものを奪うのではなく、今みんなが価値だと思っていないものを価値化すること。

利己的にならずに、部分最適化で満足せずに。