「信じる」ために疑う

あなたは人見知りだろうか?

初対面の人にどのようにアプローチするだろうか?

当たり障りのない話題から初めて、名前を名乗り、大まかな素性を明かし、暗に危険がないという事を伝える。その場の意味、目的にもよるが、人はその場に応じた形で、「大丈夫かこの人は?」と、外見や素振りを疑いながら、話しかけてその人の言葉や思想を勘案しながら、だんだんと近づいていく。

 

要は「疑い」から入っている。大丈夫なのか?と。

 

疑えば考える、観察する。そして「これは危ない」だとか、「案外大丈夫そうだ」ということを、これまでの自分の経験と知識から割り出して、ある閾値を超えていればやっぱり離れ、そうでなければ引き続きアプローチを続ける。

 

そう、「疑う」というのはかなりエネルギーを使う。なぜなら考える必要があるから。

だから、疑うことが続きすぎると効率が悪い。信じられないという事こそが、効率低下を生み出す最大の要因でもある。

裏を返せば、効率の良い集団は、非常に良い信頼関係で結ばれていることが多い。互いに信じ合えているそれこそが高効率であり、であるがゆえに良い信頼関係も継続しうる。まさに良いスパイラルにあるという事。

 

と考えれば、誰もが互いに疑わず、信頼することができる社会学れば、最高の効率になりえる。が、人間が絡むことであれば必ず、当人は成功させようと思っていたところであったとしても、失敗も生じるし、ミスも生まれる、勘違いだってある。で、どうするのか?

 

やはりここは疑うしかない。が、「常に疑う」のではなく、あるレベル感をもって疑う事。いっぱんにこれは「信頼を作りあげる」とも言われる。だから信頼が崩れると効率は下がるし、仕事や作業はやりづらくなる。互いにやりやすく手間のかからない状況は、互いに信頼が続く状況。

 

…という状況のために、安易に「効率化!」を目指して仕事を突っ込むことで、それはジワリとマイナスのスパイラルに入る可能性が多分にあるという事。昨今のあらゆる業種で、多くの職場で「効率化を!」という掛け声が聞こえているのが気にかかる。結果として全体が負のスパイラルになっていないか。チョット失敗しただけで疑わざるをえず、でもそればかりでは効率が下がり、ジレンマに。

効率化のために疑うというのは本末転倒。スピードを上げるためにブレーキを踏みすぎるようなおかしな動作は意味がない。

本質としてどこを目指すのか。効率化…が目的ですか?それともその先の何を目指しますか?