理想という恐怖

人は理想を目指したり、あるべき状況をイメージしてそれに向かっていく。そのために目標を設定したり、日々鍛錬を積んで頑張ったりもする。

 

で思うのだ。いざその目標が目の前に来て、すぐ手を伸ばせば手が届くところにあると言う状況になったとしたら、その時自分はどう思うのか、どう感じるのかと?

 

もう「そこ」に目標がある、理想が手の届くところにある。すぐ目の前だ。今まで多大な努力を払ってこれに邁進してきたそこが、やっと手が届くところまで来たのだ。

じゃぁそれに手を伸ばして、今すぐ手にしたら、次はどうなる?

またその先に、次の理想が出現するのか?そのためには、たぶんこれまで以上に努力や、鍛錬を積む必要があるのではないか?さらに、そしてもっと厳しい道が、もっと険しい何かを乗り越えていかねばならないのか?

 

もしくは、それを手にしたらあとは降りるのみなのか?もうこの先はないのか。ここが世界で一番の高み。だからあとは下るだけ。もうここまでのような苦労は必要ないかもしれない。鍛錬も必要ないかもしれない。が、それで大丈夫なのか?自分が腑抜けになったりしないのか?

 

こう考えると、2番手というのはそれだけでどんなに気が楽か。少なくとも1番手の背中を目指せばいいのだ。だが1番になれば、トップになれば、それをこの先も続けていく困難、さらなる高みを自ら設定し、それに向かい続けていくこと自体の難しさと戦う必要が出てくる。手に入った、ハイ終了、というのはたぶん、ない。

 

こう考えると、実は理想に手が届きそうになると、理想に近づく難しさとは違う恐怖、との闘いが始まることにも。もしくは、手にしたとたんに、さらにその次の目標を設定し、そこに邁進していく強さが必要に。

 

理想に近づくために鍛錬が必要であり。

そしてそれを手にした瞬間に、それを超える次に向かう強さが必要になり。

そのどちらもで、違う強さが求められているという事。

それをいきなり大きな目標でやろうとするから折れてしまう。

だから小さな理想で、小さな目標で、まずは少しずつ。

そして徐々に鍛錬して、理想に近づく。

そしてそれを超えていく。

つらいけどこれしかないのかな。