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前提を暴けば

人手不足だと言う。

が、本当に「単なる人手不足」なら、対処はあまり難しくないはずだ。給与、時給を上げればいいだけの話。

そう言い返すとある程度は単価を上げるものの、大抵「それはできない相談」と言うだろう。なぜなら、そこまであげると儲けが出ないから。要するに「単なる人手不足」ではなく、「雇う側が思う、(かなりの)安い給料でがっつり働いてくれる人手」が不足しているということ。

…となると、そこがその店の限界点。店側の、給与と売り上げのバランスがそこで成り立っている点。「景気のいい前提の人手不足」ではなく、「店側都合前提の人手不足」。

 

だが考えても見れば、ほとんどの人が「より高い給与」を目指した労働をしているはず。だからこそ、そのために学習もするし独自の努力もする。

 

雇う側にせよ雇われる側にせよ、「その立場」の話を聞くと、確かに納得させられるような理論を構築していたりする。だけれどよくよく考えてみれば、「その前提はおかしいでしょ」とか、「その前提は私の考えとは違う」というものを前提に、話が構築されているものが結構あるのも事実。

 

個人でショッピングをした後で、あとになって「失敗したぁ!」と思うものの多くがこれではないか。要は自分は自分の思い込みで、きっとここはこうだろうとか、こういう前提のはず、として購入したけれど実際は…ということ。もちろん、店員に「こんなことできる?」と確認するのが常套手段だけれど、そもそも店員の商品知識にも左右される。なのでお店は「商品知識」をきちんと学習させるのだが…。

 

だがどの場面にせよ説明を受けるという行為は実に厄介でもある。説明する彼らは、彼ら自身の「良いところ」をアピールしたいので、その部分の裏付けはガッチリと固めてくる。その外側のどこを責めるのか?

ここでのスタンスは「自分の欲しいものの前提は/うまく行く前提は、なにか」ということを「自分が」きちんと認識している事。自分がやりたいことがない時、分かっていない時は、当然前提も何もないので、うまく言いくるめられやすいのは当然の事。

セールストークは、あぁ、それ欲しいかも…と思わせる。が、本当にそれ「欲しい」んだろうか?その欲しいというものの前提は、それでどうしたいの?どうなりたいの?を持つこと。

 

最初の話題に戻って労働の話。
労働力不足とは言え、なかなか条件のいい仕事は見つからない。…かといってカスミを食って生きていくわけにもいかない。だが、安易に安い労働対価に飛びつくのは考え物。リスクの多いこの時代。安い対価で働く世の中ではなくなりつつあるのも事実。対価は対価。認めないのなら堂々と拒否するしかないかもしれない。

本来受け皿となる社会保障制度がきちんとサポートされ、誰もが躊躇なくその制度で受け入れられれば、そもそもそうしたブラックな仕事は消えざるを得ない。そこまで酷い環境なら、生活保護で、という逃げも無くはない。だからブラックな、安い、不条理な条件の仕事が蔓延するのは、あるいみ社会保障の弱みが突かれているということでも。

「日本」という狭い小さい世界で、顔をつないで仕事をしているこんな世の中だからこそ、そうした資本主義の経済原理(たらなければ高価になる)が働くなっているのがそもそもの根本原因でもあるのだが。だからこそ、日本市場だけで縛られているのは、かなりのリスクを背負い込んでいるという事にもなる。