効率化という実態

一時期、牛丼チェーン店における深夜のワンオペ(一人で店舗を切りもりする事)が注目を浴びた時期があった。経営サイドから見れば、そんな夜中でお客が少ないところにおいて、「二人」も人件費がかかるのは無駄が多い。何とか一人で回せないか?と、一人で回す仕組み、ワンオペが検討され実行される。

 

当然これは様々なリスクをはらむ。急に大人数の客が来たら?というまぁ平常時の対応はもとより、犯罪者に店が狙われたらというものまで。
さらに当然ながら、ワンオペは、「その担当者当人が仕事に来ること」が大前提。だがしかし、担当者とて「人」であり、健康を害したり、トラブルに巻き込まれたり、身内に不幸が起こり得ることだってある。

こうしたことが起きたときにはどうするのか?まぁ「ビジネス」が大切なのもわからなくはないが、まずは「当人の事情」…というのが昨今まったく考慮されず、そのポジションが地に落ちている、というのがワンオペであり、効率化の現実ではないのか。

 

もちろん、「効率化できる効率」もある部分はあり、以前の社会ではそれでまかり通ってきたんだろう。だが「昨今の効率化」は、たぶん「人間性をも蹴散らした効率化」であり、「ビジネスありき」で「人は二の次」という効率化ではないのか。

 

結果的に、それは回りまわって、お客になるものを傷つけ、社会が疲弊してきている…。がゆえにもっと効率化をせねば…ともっと労働者(お客)を傷つけていることになっていないだろうか?

 

効率化という名で、本来は企業が背負うべきリスクを(将来的には顧客になりうる)労働者に取らせることで、結局企業が損をする。

とは言え、いったんそちらに回りだした「歯車」は、誰かだけが元に戻そうとあがいたところでうまく行くわけもなく。みんなで一斉に、反対側に回さなければうまく行かないだろうな。

そんなことをできるのが「政治」のはずだけれど…orz。