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緩やかな滅び

日本は自ら「滅び」を選び始めていないだろうか、と感じることが増えてきたのは私だけだろうか?

某有名女性研究者が、みんなで貧しくなりましょうとも言ったとか。かなり末期的印象すら感じる。

 

ワガママがかなり通じる様々なサービス。きめ細かな対応がなされ、かなり便利であるのはユーザーとしてのみ。現場は疲弊していないか。

提供する側にまわった途端、あらゆる準備、対応に追いまくられ、結果ひどい仕事環境に。勤務の長時間化、残業過多…。だがサービス内容は落とせない。

そんな提供側に回ったからと言って、仕事が終われば一人のユーザーでもある。だからこそ、自分があれほど頑張って、丁寧にやっている事なのだから、自分が受けるサービスも…と期待していたところ想像以下…だったりすると、それはないだろう!とついつい声が大きくなったり。

 

こんなスパイラルが無限に回り続けるわけがないし、回せるわけもない。どこかで必ず限界に行きつき、その端的な反応は「現場」で発症しかねない。

 

これまでは、自分が受けられるサービスの質を生み出す背景を、自らが知っているからこそ、これ位はしょうがないと受け入れていたところはなかったか。

日本には「足るを知る」といった、礼節をわきまえる言葉が存在する。けれど昨今はというと、少しでも「得」をしないと、「利」を得ないと損じゃないかといった、みんなが貰える、得られるものギリギリを求めだしている。得られるものはすべて手にして、後に残るは荒地のみといった、「バッタの大群」かと見まごう状況と言われるほどに搾り取る。

これ、「そうして得た人、得した人」だけは元以上の価値をとれるけれど、たぶんそれ以外の人は損をするし、それこそ継続してそのサービスは続かないだろう。(そしてそう言った行動の多くは、それを行った人は大きな特をするが、しなかった人は大きく損をすることに。その組織、社会全体で特を分かち合うには、それぞれにお互いの協力でお互いの足るを知ることが必要…という「囚人のジレンマ」なんてので有名なはずなんですけどね。)

 

 

一旦あきらめませんか、少し。

というのは簡単…。

大抵こうして、自重した人だけが損をする。

だから誰も自分から率先しない、損をしたくないから。

囚人のジレンマの最悪パターンを選んでいる経済環境のような気がしてね。

なので、セーノ♩で、みんなで一斉に…。

って…競争状況ではねぇ…sigh。