町の写真

町の写真が好きだ。

でも、何の変哲も無い町、普段住んでいる町の写真なんか撮ってどうするの?と訝(いぶか)しがられることもある。

 

ただこの真価は、5年10年した頃からみんなが気づき出す。あの頃こんなだったでしょ?と当時の写真を引っ張り出すと、そうそう、あの頃こうだったよね、と。

だが気付いた時にはもう遅い。変わってしまった過去のあの様子は、二度とは手に入らないものになっているからこそ、今価値を感じている。その時になって初めて気付くあの時の価値。いつもの普通の日常で、毎日何の変哲も無い、刺激のない街並みも、ある時間を持って変化しているのだと言うことを。

 

今でこそ、Googleストリートビューなどという便利なものができているけれど、これだってここ5年ほどで整備されたに過ぎない。さらに言えば、あれで記録されているのは基本的には道路からの情景のみ。細い小道や、陸橋から、店の中から等々、あれだけでは残っていない風景はいくらも存在する。

 

今はまだ寒いけれど、季節のいい時期に、店先でティーブレイクをすることができる店が好きだ。その街を歩く人々、その街で過ごす人々。そうした人がいてこその街。街にまでなっていない、身近な町ももちろん。単なるスーパーや、今やコンビニが跋扈しているけれど、昔ながらの八百屋や魚屋がある風景だって素晴らしい。

 

便利という名の殺伐とした風景と、不便だけれど人の温かみを感じられる風景と。どちらか一方にだけ触れるのではなく、その両方があるバランスをもって共存することができる町。

町は、そこに生きる人々のためにあるのだから。人々が居てこその町なのだから。