正しいという力
正しいことは、文字通り「正しい」。であるがゆえに、つい、どうダァ!とやりたくなるし、「正しい」ゆえに、そうできる力を持っている。
そうして「正しさ」を振りかざされた人々は、「正しい」であるがゆえに反対できない。甘んじて受けるほかなくなる。が、「正しい」からと言って、今選択すべき「最良」であるかどうかは別だったりもする。そこに違和感を感じながらも反対できない。なぜなら正しいから。
となれば、「正しい」というやいばが相手に襲い掛かり、傷つけることにもなりかねない。正しいがゆえに破壊力も結構持っている。正しい、であるがゆえに抗えず、最良でないと認識している者たちがひどく傷つけられている。
だから「正しいこと」こそ扱い方が重要になる。
キレ味のいい刃ものは、扱いに注意が必要だ。だから丁寧に扱わなければ、どんどん周りを傷つける。
正しいことこそ慎重に扱わなければ、負う必要のない怪我人が続出する。
正しいことも重要だろう。が、それが今選択すべき最良だろうか?
増税にせよ、エネルギー問題、軍事力、経済、どれかを優先するわけにもいかず、しかし、全く対処しないわけにもいかず。何年スパンで最適化すべきか?それまで待てるのか?
すでに待つ時間を相当無駄に過ごしすぎていないだろうか。