効率を語る前提

かなり前、当時の上司に聞いてみた。

「効率よく仕事をせよとおっしゃるなら、今日のゴールはどこか?」

これは、そのプロジェクト/仕事のそもそもの計画がきちんと立てられていないと答えられない事。

 

多くは、そのプロジェクトにおける全体の締め切り、納品日は決まっている。するとそれにしたがい、それに至るまでの手順が決まり、中間の締め切り日がそれぞれに決まる。それが決まれば、今月中にしなければならないところが見え、今週中にやらなければならないところが見え、今日の目標が決まる。それが今日のゴール。それが今日の効率を図る「分母」になるはずだ。もちろん、1日ごとではブレが大きいところもあるので、1週間、1ヶ月ごとでも効率を図る。

 

そもそも、「今日どこまでできればいいのか?」が見えていない仕事で、「効率」とか言われても、何で「判断」するのだろう?それがなければ、早くできたから定時に帰るとかいった話がそもそも無理ではないですか。

 

と、そんなことを上司に「直接的」に聞くと、たいてい「事故」に合う。そもそもそんなことが理解できている、見えている上司であれば、今そんなに大変な状況には陥っていないはずだしね。

 

今の多くの現場は、そもそもほとんどが「工数不足」。できる工数に対して、そもそも詰め込みすぎ。それを解消せずに、現場に押し付けて「頑張れ」というのは、それは、マネジメントの放棄にほかならず、現場の役目ではなく、マネジメントが手当てすべき役目がほとんど。

…と、こう書くと、マネジメントと現場との確執が生じ、大変なことに。だけど、そもそも作業量が標準工数の何倍オーダーで爆発しているのは、マネジメントの責任。現場はせいぜい、10%オーバーくらいまでをどうケリをつけるか程度までの効率化が手いっぱいじゃないだろうか。

 

という事が分かっていないマネジメントが現場を指揮すると、負の連鎖がずっと続くわけで。

そんな現場で残業規制したって、マネジメントの頭の中が切り替わらなければ、いつまでたってもどうどうめぐりでしょ。