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統計的意義

それはアンケートではあるのだろう。が、あくまで質問に対する答えの集まり以上ではなく、統計的意義のないものがあまりに多い昨今ではないのか。

 

母集団の数の少なさ、偏り、など、基本的前提が踏まえられた上でのみ、その「割合」や「傾向」は統計的意味を持つはず。

だがネットが普及するにつれ、ネットで発表されるアンケート結果や、街頭で「とりあえず」聞いて見た結果、たかだか母集団30人とか50人程度で、その何パーセントがどのような…などと堂々と表されたその数字。その数字に何の意味があるのか?傾向?なんですかそれは?ネットだけが悪いとも思わない。確かにテレビ番組でも、母集団の数によらず、当たり前のようにグラフ化し一般化された現実のように振舞っている。それを読む方は読む方で一応に、あぁ、そうした傾向なのか…と、統計的意義があるのかと受け止めかねない状況。

統計的異議とは、何度実施しても同様に確からしい数字になる傾向になるという事のはず。が、本当にその数字はそうなりそうなものか?

 

なんだこの勘違いの連鎖は?

 

多くの数字が、学園祭のクイズイベントと同レベルになってやしないか?それを読み解く方のリテラシーの無さも、さらに情報を作る方の知識の無さも?いや、作る方は特に「めんどくささ」といった方が的確かもしれない。その両者が相まって、意味のない数字が闊歩しだす。

 

そしていつしかそれが世間の「共通認識」となってしまったりもする。

それもこれも、やっぱり「数字」というとらえ方や意味に関する学習の基盤が、きちんと整っていないからではないのか?だからテレビ番組ではインチキなグラフ表記がまかり通り、それを信じて他の誰かが、その偽情報を拠り所に動き出す。無駄が無駄を生み、意味のないことがその上に論を重ねることで、無駄の上に「城」と築こうとしていないか。基礎がグラグラなその上に。

 

こんなことを描いている私も含めて、きちんと「統計」を学ぶ機会はまずなかった。だが何処かで誰かが、少し諭した方がいいんじゃないのか?さすがに最近は目に余るものが多すぎる気がするのだが。

数学や算数は、生きるための道具。知らない人は知らないなりの、知っている人は知っているなりの世界で過ごせるところ。

考えてごらんなさい、保険会社が適当な統計情報を元に、保険料を上げてきたとしたら?