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「指示待ち族」の作り方

組織に属したり、仕事をしたりすると、自分から率先して仕事をする人は重宝される。反対に、指示されないと動けない人は嫌われる。会社員のみならず、アルバイトなどでも同じだろう。

 

だが、今はそうして指示されないと動けない人でも、もしかすると昔は自分から動いていたかもしれない。何がきっかけでそうなったのか?

 

自分から動くためには、自分から「次は何が必要かな?」と考えなければ動けない。そうするためには、次にこれをやっておけばいいかな?次にこんな準備が必要かな?それを考えて、考えた事のために動き出す。

とは言え、すべての考えがあっているとは限らないし、間違っていたり、その場のしきたりに合っていないやり方もあるかもしれない、そんな時。

「何無駄なことやってるんだ!」

とただ怒られると。

 

一度や二度ならまだしも、何回もそういう場面に出くわすと、こういう考えがよぎる。

「自分で考えても間違えていることが多い。なら、間違いないように、言われたことをきちんとやろう。自分で考えているだけじゃ間違えるぞ。」

 

要するに、何かして、ちょっとした間違いを犯したら、即刻ダメ出しを出し続ける。怒る。何で勝手にそんなことをした!と怒鳴る。これだけを何度も繰り返す、それだけで、指示待ち人間のできあがり。

 

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落ち着いて考えよう。考えて作業をしようとする方と、作業を受ける方と。両者の対応がかみ合ってこそ、指示待ち族を作らない事になる。この組み合わせがかみ合わない場合の結果として、指示待ち族が出来上がる。当然、「合致する組み合わせ」はそう多くない。だから「柔軟に対応できる受け手側」と「柔軟に対応できる指示側」がいればすぐに良い組織になるのだが、どちらかに柔軟性がないと、片一方が実力以上に寄り添わなければならなくなる。

 

組織や会社は、「指示待ち族」を好まない。だが、彼らすべてが「柔軟な受けて」であるとは限らない。時に一方的に「作業者側が柔軟に対応せよ」と協力に強いてくることも少なくない。

だが、上述したように、要はどちらもどちら、受け手側にも、送り手側にも、どちらにも対処すべきやり方がある。片一方だけが悪いわけではないはずだ。

 

双方に、考える、褒める、という正しいメッセージを投げあうことを意識しなければ、到底「よいチーム」にはなりえない。でなければ多くの場合、その場で伝える一つ一つのメッセージが、自分で考えるな!間違ってる!という事になり、結果的に指示待ち族を作ることになる。伝える側の責務やテクニックが低いことが、効率を下げている原因にもなっているという所以。

 

でも、組織や会社で、その意識を持っているところはどのくらいあるだろう?たいてい、「最近入ってくる奴らは…」と外の責任のみにしがちではないだろうか?そもそも、その頭の硬さが、その組織へのマッチング度合いを下げているはずなのに。