自分以外のために、自分自身のために

ドラマなどのシチュエーションでよくあるのが、「自分などもうどうなってもいい」と、自暴自棄になるシーン。

だが、同じくドラマなどでよくあるのが、「お前が〇〇しなければ、こいつがどうなってもいいのか?」と人質を取るシーン。要するに、「自分自身」ではなく「自分以外の誰か」がと対象が自分以外になるシーン。

たいていこうしたシーンでは、抗えない。屈服せざるを得なくなる。これがたとえ自分とはそんな近しい人々出なかったとしても、「人の道」として抗えない事がほとんど。

 

サイコパスなら話は別だが、それほどに、誰かを大切にしなければ、という力は強いもの。

さすがに、見知らぬ他人の命を懸けてとまでは言わないが、それでもそんな「自分以外の大切な誰か」があるという事、それ自体が「パワー」を生む。

その人の為なら、その子の為なら、頑張らないと…。いままで適当にやってきたことも、手を抜いてきたことも、この人の為ならば悔い改めざるを得ないことに。

 

そこに、甘えが生まれるような間柄であると、「パワー」は弱くなる。が、抗えない人、自分の事を勘案などしてくれない人、典型的には赤ん坊であったりすると、もうこれは「その子」のために何とかせざるを得ない。

 

自分自身などどうなってもいいという人がいる。だが、ふと周りを見回してほしい。そのあなたの価値は、あなた自身が思う以外に、「他人が思うあなたの価値」ってものが何等かに幾ばくかはあるはずで。それをあなた感じられた瞬間、それ自身が「あなたの力」になってくれる。

 

誰かがいるから、あなたが存在し得る。

そして、あなたがいるからこそ、他の誰かが存在し続けられる。

今いること自体がパワー。なぜそれを投げ出そうとしますか?

どこかでそれを欲している人が必ずいらっしゃいますから。

今はたまたま、あなたの目に触れるところに見かけられないだけですから。