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保守費用高騰

最近ある集まりの中で話題になったのは、現存する一般の公園設備において、動くものがことごとくなくなりつつある現状があるのではないか?と言う事。

 

皆さんのお住まいのお近くにある、市や区が管理している公園を思い出してほしい。何年も前に話題になった箱ブランコなど、いかにもすぐに怪我をしそうなものがなくなったのはわからないでもない。だがそれ以外の回転遊具など、現存する公園では、ほぼ目にすることがなくなっていないだろうか?

逆に言えば、それがまだある公園は、よほどメンテナンスが行き届いた公園か、放置されている公園かのどちらかに間違いなさそうだ。

 

ものを正常に使い続けられる、というのは、公園遊具に限らずメンテナンスあってこそ。保守運営は、事の多少はあれども、必ず必要になるもの。すべてのモノは、いずれ、経年劣化して行く。それを補いつつ、いつまでも当初の利便性を保たせる事、が、保守の価値。だが、そうやって上手く使い続けられている事…を当たり前と認識すると、「当たり前のための業務って意味あるの?」と価値が正しく判断できなくなる一部の人も。

日本は以前は、事物を修理して、保守して、長くその価値を享受し続けようという文化があったように思う。それがこの何十年かで、保守する方が高くつくところがいろいろ見えてきた。ならやめちまえ!捨てちまえ!という悪しき意識改革が根を張り出しているように見える。リスクや権利にうるさくなった社会というのも理由の一端にはあるだろう。

確かに、技術革新の非常に早い分野は、前のものは切り捨てて新しいものに切り替えることに大きな意味を持つところもあるだろう。が、今最悪なのは、その考え方が、どの分野においても、そう考えられているように見える事。

 

それ、継続して使った方がいいのでは?いや、「やめることによるリスク」とか真剣に考えていますか?見かけの保守費用だけで判断してませんか?

 

もう、「お金で評価していない事」はみんな忘れてしまったんだろうか?その事自体が、文化を捨てている事につながったりもしている側面はありはしないんだろうか?

何でもかんでもお金お金。お金なんて、「一つの評価軸」でしかないんだから。