それを決めませんか?

会社や組織で上手くいっていないと、上手くいくようにする「新しい施策」が検討される。こうすればいい、こうやればいい…。すったもんだの末に新施策が決まり、それを進めていく。これはこれで問題がないわけではないが、まだいい。

他方で、そもそも止めることは決めない。

以前から行っている「それ」をやる事と決めたのがだれなのか?誰の権限で進めているのか?調べるのもめんどくさいし、そもそも調べられる状況にもなかったりして。さらに止めたとしたとき、その背景情報がよくわからない人から突っ込みが入ったときの対処もめんどくさくて、結局止めない/やめられない。

 

本当にみんなが、今何にもしていない事ならば、すでにやめているのと同じこと。だからそれは、わざわざやめる事をきめなくてもいいのかもしれない。だが多くの場合、若干なりともやっている人が残っていたり、それに意義があると多少なりとも思っている人が残っていたり。そういう人たちすべてにつつがなく情報を提供し、周知徹底させるのは至難の業。であるからこそ、「やめる」と言えば角が立つ、反発が起きる。たとえばそれが面倒で「やめる事」を決めない。

 

確かに、それまで信じてやってきた方からすると、なんて勝手な、冷徹な判断だと怒りがこみ上げる。これはこれまでのこの国の働き方とも関連するだろう。すでに事実上崩壊している終身雇用という、一度働きだしたら死ぬまでその組織で…という形なら、同じ仕事をし続けることが一つの意味だったかもしれない。が、すでに社会も経済もそれでは回らなくなっている現実がある。いかに時代に乗り、急カーブをぶつからずに曲がれるように組織運営ができるかが競われている社会。そんな中で、価値の出ていないところを持ち続けるのは、組織運営側からするとそこは「お荷物」に変わりない。が、これまでの運営は事実上、そこと折り合いをつけて、持ち続けるしかなかった。だからこそ、サラリーマン上がりの社長は、そんな過去の遺物にうまく見切りをつけられずに成果を出せない。他方、外資系のトップが冷徹にザクザクとやめることを決め、切り離していくと、それはそれで成果を出している、というこれまた現実がある。

 

社会が変わった、時代が変わった、経済も変わった、だから進め方も変えざるを得ないということだ。だから「働く側」も昔ながらにしがみつき続けるのではなく、賢く変わろうではないか。そんな組織や集団だとわかった瞬間に、いかに素早く「こちらから」見切りをつけるか?すでに日本は転職は当たり前の国。一昔前とは違い、一つの会社で終身でという生涯を全うできる人は、たぶんほとんどいなくなってきているのではないだろうか?

派遣会社全盛の時代だという事からしてもその通り。だから、「こちら」の覚悟を決めておくに限る。(その際のknow-how話は、また別の機会に)

 

いつまでも、昔ながらの夢を抱いているのもあなたの人生。現実を見つめて、自分を変えていくのもあなたの人生。何をやるのか、何をやりたいのか、だからどうして行くのか、それを決めて、それに向けて動いていきましょうよ。あなたの手綱はあなたが握っているのですから。