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合理的判断

そもそも、合理的判断を選べない人がいる。なさけや情が勝って、その選択肢を選べない。それが悪い…とは言わないが、結果的に、選んだ判断の結果が合理的に正しいと思った方向に進む確率は、その選択によって下がってるんじゃないだろうか。

 

合理的に判断するとは、ある意味、もっとも自身に都合の良い方への確率が高いもので、自分への影響が総合的にましなもの。

ただし、気をつけたいのは、そもそも、そうした判断のために使うべき情報が使えているのか?という事はあり得る。さらに言えば、判断のための情報、材料は、十分に入手できているのか、いたのか?

 

結局、今の合理的判断とは、今手元にある情報に基づいて、という前提があってこそであり、さらにそこに後から情報が追加されると、その追加された情報により、場合によっては判断も変わる可能性があるということ。

これは、将棋などのゲームにおける手数の探査の深さも同じことでは。5手先まででは良い手でも、6手先まで読んだ結果としては、それが最悪に評価されることもありえる。

だからこそ、決断者は多くの情報を求めようとするのだが、そもそもそうした情報が十分には集まらない環境だってあり得る。部下は頑張って情報を集め、上司はそれでは決断に足る情報が足りないからもっと集めろと部下にはっぱをかける。

 

だからなにかで制限をしなければ、際限がなくなることも。「この日までに集まった情報で」とか「この数を超えれば判断する」「これにまつわる情報をもって」といった制約をはめておくこと。でなければ、結果としていつまでも判断できなかったり、逆に正しく判断すべき情報が集まっていなかったり。

 

で、これを、情報を集める部下の側に、そして判断する側の覚悟として、きちんと徹底しておくというのが、大切なんですけどね。