わかるは分ける

そもそもはじめは、呪術師の様な者が、悪いものが憑いているとかいないとか…といったあたりから医学の始まりはあるわけで。

 

とは言え、はじめはきっとこんな感じだったのではないか?

「身体の調子が悪い」となれば、それは上半身なのか?下半身なのか?

「上半身」とするなら、「首から上」か、「首から下」か?

「首から下」となれば、「身体」か「腕」か?

といった形で、部位を特定する、要するに「部分」という形に分けてとらえていったはず。

 

今でこそ、体調が悪いと自ら内科に行ってみたりするわけだが、「歯が痛い」といって内科に行く人はいないし、「胃痛がするから」と歯医者を訪れる人もいない。患者の方がある程度まで切り分けたうえで、さらに細かく分析する技術を持つ専門家/専門医に訪れて治療をお願いする。

 

そう、より正確に精緻に分けて、そこをピンポイントで治してもらうための治療を期待する。対処するためには理解しなければならず、理解するために、できるだけピンポイントに分けて理解する。それは医療に限らず、物事の対処方法すべてにおいていえる事。

 

分かるために分ける、ピンポイント化するわけだ。

 

「何が問題なのかが分からない」というのは、そもそも「分け方が大きすぎる」という事だったりしないか。対処できるほどに、対策を打てるほどに分けてこそ意味があるという事。

ただ、現実的には細かく分けすぎている場合がなくはない。がしかし、多くの物事は、そもそも十分に分けられていない、分かる/理解できるほどに分かれていない事自体が物事を複雑化し、時間をかけているという実態があるのも事実。ごちゃ混ぜになっているものを分けて、個別に対処していくからこそ前進する。

 

その問題、分けてますか?