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解はある、が正解とは

解は何においても存在する。ただし、それが「より良い解」 なのか、「最悪の解」なのか、「ベストの解」なのかはなかなか判断しづらいのが現実。それが社会における「解」だろう。

 

時に「正しい解」を求めることはなくはない。が、学校生活で求めていた「唯一絶対の解」だけが存在することはまずない。となった瞬間に、解はいくらも出てくる。そもそもその「解」を評価する基準は何か?となると、時間、お金、手間、機会、立場などなど、さまざまな要因が出てくる。誰かにとっての「良い解」は、別の人にとっての「良くない解」になりえる。

 

こうなると、 選択する「解」はたいてい妥協案だったり、譲歩案だったりと、いくらか譲るポイントが存在する。その「何」を譲るのか?お金か、時間か、立場か…。要するに誰かにとっての何かの妥協の産物こそが「解」なのだ。たまに、全員にとって良い解があったとしても、それは、そこでは認識できていないほかの誰か(たとえば、100年後の人類)に対して、悪い影響を与えるかもしれない解になっている場合だってあるのだ。

 

さて、「その解」で、誰の妥協点を見出したのだろうか?

そもそもその時点に文句を言いたくなった、今から見ると未来の人類は、今の我々に、直接文句を言う機会がなかったりするわけなのだが。