「就職」という名の

日本においては、今まで行われていたのは、「就職」と言う名の「就社」だろう。それは終身雇用制度と事実上一体となって、それはそれは日本を経済大国に押し上げると言う大きな役目を果たした事実はあるだろう。

 

だが、どの国もそうだが、いつまでも目覚ましい成長率を維持し続けることは難しい。国の状況、世界経済の状態の中での位置取りによって、さまざまな変化や影響は避けられない。となると、今の日本では、これまでほどの人員は必要なく、新たな事業領域に踏み込めなかった会社、新たな価値を生み出せなくなっているような組織は、余剰人員を切り始める。

いわゆるリストラだ。

すでにここ20年ほどで、日本は中途入社社員の割合が増えた。労働者の市場流動性が上がった。事実上、一社だけで会社人生を終える終身雇用制度は消え去っている。

 

これが「会社側の意識」だ。が、それまでの幻想にすがりたい過去にその会社に入った人々(バブル期ぐらいまでだろうか?)は、良い会社を目指す…就社を目指す。だからリストラを言い渡されたりすると、強く傷ついたりもする。この社員側の意識の人、さすがに減りつつあると思うけれど、まだいらっしゃる気がする。

 

法人は明らかに考え方を変えてきている。そのギャップ自身が、あなたにある限り、入社した後でのギャップを感じてストレスとなることすらあり得る。

社会の状況を変えない…という事はムリだ。その状況に合わせて、会社や組織は機敏に変化し続けないと、儲けは出ないし、生き残り続けられない。だが、その中で働く人々の意識が「今より良かった昔の前提条件の継続」の中で、いわゆる既得権で生き続けられると考えているなら、それはたぶん無理な話だ。

 

一部の年齢以上の方は、もしかすると逃げ切れるのかもしれないが、それも本当にごく一部だろう。それ以外の人は、「その会社」に生き残り続けるには、その会社自身の変化について生き続けるしかない。

 

逆に、自分が自分の専門で生き残り続けるとするならば、まさに「就社」ではなく「就職」として、「職」を極め続けていくことが重要だろう。であるため、その「職」が必要とされる「会社」を乗り換えて生き続けるしかない。

「職」もきわめず「今の会社の変化」にもついていかないとするなら、それは、会社と共に変化に耐えきれずに滅びる選択肢くらいしかありえない。

 

昨今、本当に10年前に比較して、労働者の流動性が上がり続けている。働き手が少なくなっているというのも手伝っているだろう。「職」や「技能」を磨くという、本当の意味での「就職の時代」になったのではないだろうか?

新入社員の一斉入社が非常に引っかかりはするのだが…。