ルールは常に

スポーツ。実は子供のころに学んだルールと今とでは、違っているモノはないだろうか?

それこそオリンピック開催ごとに若干ルールが変わったりして、どこかの国に有利なように、どこかの国だけが勝ちすぎないようにルールが改正されたりする。

引き分けが認められたり、認められなくなったり。決着がつくまで無限に延長していた時代があったりなかったり。さまざまに変化している。

 

もちろん、これはスポーツ選手への負荷軽減もあれば、ショービジネスとしての時間調整や演出などもある。見やすさ、わかりやすさ、ゲーム展開などなどさまざまなことに留意してそれらが調整される。

 

進んでいるスポーツは、そうした昨今の人気や流れ、時流を予想して、先取りしたルールを作っていこうとする。とは言え実際はそれより、多くのそれはスポーツに限らず、交通法規にせよ、法律一般にせよ、そうした事象が増えてきたら、トラブル件数が増えてきたら、それに従ってルールを調整する。ルールは「後追い」になりがちだ。

 

だから、今運用されている「それ」には、もしかすると(というか、多くは)抜け穴があるかもしれない。今できているのは、いろんな意識の高い人がトラブルが起きない事を自主的に規制しているから問題になっていないけれど、そんな意識のない人が大量にそこに流入しだしたら、一気に問題になるかもしれない。まさに「ドローン」の世界がそれに似たような状況に。

 

ルールはいつも「古い」。よほど意識が高い分野、状況を予想して作っていかなければ、ルールは新しくならない。それは、あまりの変化の激しさ、多さに、そもそも先んじて変更しても、自体がそれを超えて変化してしまうから、という側面もなくはないだろう。

 

だが、そうしたネガティブなものばかりではなく、それこそ「しっかりと想定を考え抜く」事でつくられたルールは、それは社会を変える。ルールに従ってテクノロジーが出来上がっていくことだってある。テクノロジーで社会を変えていくとすると、それに精通した人、グループが検討に検討を重ねたうえでルールを先んじて作っていくこと。古いことに不満を言っているだけで終わるのではなく、ルールで社会を作っていくことすらも可能になるはず。

 

テクノロジーで社会を作っていく、のか。

ルールで先んじて、社会を作っていく、のか。