できる事、好きな事、稼げる事…

みんなの悩みの多くがこれじゃないかな。

できる事は無くはない。

好きな事もある、もちろんできる。

しかし生きるため、稼ぐためにしなければいけない事は、好きではないかもしれない。十分にできないかもしれない。だが、やらなければならない事ではある。

 

この、できる事、好きな事、やらなければならない事とどう折り合いをつけていくか?

アプローチはさまざまだろう。

 

最初から、「やらなければならない事」にフォーカスして、好きではないが、生きていくためにはやらざるを得ないと諦める…のも一つの戦略。ただ、若ければ若いほど?抗いたく、自分の限界はここじゃないと信じたい。

 

「できる事」をアピールして、稼ぎ安い手段を生きていくための糧にしていく。多くはこれかもしれない。ただし、これとてすぐにげんかいがくる。そこでその限界の中だけで、一生成立することはまずあり得ない。

 

「好きな事」に突き進むのも一つの戦略だ。ただこれはかなりの賭けでもある。全く稼げない事もある。が、これが稼げることになるとあたりは大きい。そもそも「好きな事」だ。追求している分、他の人は追いつけない可能性がある。となると、「その道の大家」にもなりえる。これは何にかけるべきなのか?世間の潮流や運にかけるというより、「自分自身」にかける意識ではないか?

 

今から30年ほど前にできたらしい言葉「オタク」。これは言ってしまえば、その道の好きなことにのめりこんでいる人で、その同時代においてはあまり世間の評価を得られなかった人へ向けての蔑称。

しかし彼らはその道にまい進し続けた。多分ほとんどが損得勘定なしに。それが場合によって、時代に乗って、文化的ポジションを得たとたんに、大きく花咲く可能性も見えてきている。「オタク」が稼ぐ手段になりえている。

そもそも、コンピュータだって、(今でもそのきらいはあるが)オタク文化のはしくれ。が、そうしたネットワーク、アプリケーションに強いことこそ、社会を生き抜く力になりえているのが昨今。

「世間が自分に追いついた」なんて言い方をすることもあるけれど、要するにそのモノのポジションが、社会の変化によって認められた瞬間に価値観が激変する世界。それが好きで突き詰めていたからこそのポジション。

 

だからこそ、好きな事は、細々とでも続けておく方が良い。好きなことは手放さない事。別にそれで、今は食べていけないとしても。人間「生きていくため」に生きているのではないでしょう?やりたいこと、好きな事を温め続けましょうよ。

人生、思った以上に、リスク要因ととらえられるくらい、最近は長いのだから。やりたい事をやるために。目的をすり変えられないように。