昨今の街のイベントから

「地域での会話」というのは、隣人との会話の他にも、商店との会話もとても大切な事。地域から「商店街」が失われることの意義は、実はここにもあるはず。旧来のすべての商店が、Webで情報を出しているわけもなく、生の情報は生の会話に限られているところはまだまだいくらでもあるのが現実。

 

そんな街の情報の一つとして、すでに「あちらの街」、今年の花火大会がもう終了したところがある、という話を聞いた。

まだ6月です!梅雨にも入ったか入ってないかの時期なのに!沖縄でもないのに、です!

 

どうやら事の要因は様々らしいのだが。

その(すでに花火大会を終えた)街は海辺の街で、都会からのデートコースなどでも名前が出てくるような街。であるがゆえに、例年、その街の花火大会は、「街の外からの人々」で激混みするらしい。うるさくもなり、渋滞にもなり、そこにお住いの方々にとっては、いっとき商売はできたとしても、デメリットの大きさがかなりあるらしい。昨今はちょっとした保育園を作るだけでも「うるさくなるので作らないでほしい」などと言う時代。それを勘案して、地元でひっそりと終えることにした、その結果が今年のこの日程らしいのだ。

 

…という事を耳にして思う。これからの政治的運営は、本当に難しくなるんだろうなと。そうしたイベントを、地元だけでひっそりやる…という事自体は、もしかすると「今年は」良いかもしれない。だが昨今の「人口減少」だ。ちょっと気を許すと、他のイベントにかき消され、忘れ去られていくのは必至。そんな、もしかしたら近い将来に、「やっぱり皆さんに来てもらいたい」と思うようなことにはならないのだろうか?と。

 

街はにぎわってもらいたい。でもうるさいのは勘弁を。ある意味でぜいたくな悩みだし、我儘と受け止める人も当然いるだろう。そんなこれからの街の在り方、寂れないように、でも穏やかな暮らしやすい街づくりをするために。行政だけに任してできるとは思えない。街の意見を街自身が主体となって作り出す、そんな動きがなければ、「いやだ」の不満ばかりが噴き出すけれど、だれも是正のためのアイデアも出さず、調整にも動かず、不満の吹き溜まりのような街にならないだろうか。

 

もしかすると地方の街ではもう何年も前から起きている事象かもしれない。が、いよいよそれが関東地方の近隣の通勤者が住まう街からも出て来るし、吹き荒れるのだろう。

20年後の未来はどうなっているのだろう…。

いや、20年後を、どうなっているように「したいか」だろうな。