それは成功者の集まりか

同窓会というモノがある。早ければ卒業して数年後に開催されるものもあるだろうし、卒業10年15年を期して、有志が集まるというのもあるだろう。

 

大学の同窓会…というよりも、サークル仲間の集まりなどの感が強いかもしれない。

高校あたりも、まだ大丈夫だろう。仲間が集まるというのはあり得る。

中学…。このあたりになってくると怪しくなる。昨今の関東のように、中学受験をかなりの確率で通り、フィルタリングされた中学出身であれば、それも成り立つのかもしれない。

小学校。かなり絶望的な気がしている。私学であればまだしも、公立小学校時代の同窓会というのはどういう形になるのか?そもそも、年齢によるが、今同窓会をしようとなると、集めるのに使うツールとして、LINEやfacebookが当たり前のように浮かびそうだ。…が、大学、高校あたりまででそうしたツールを使えていた集団ならまだしも、そうしたバックグラウンドがない年齢層では、そもそもそのツールにつながっていないというのが最初で、かつ最大の大きなハードルになりえる。

さらに言うと、そうしたLINEやfacebookにアカウントを持っているそうした中年以上の年代層とは?という話だ。LINEはともかく、特に中年におけるfacebookの使われ方が、「どやの広場」ではないけれど、いまこんな素敵なところにいます。こんなおいしいもの食べてます…の発表会になりつつあるという一部の現実がある。いわゆる、「大成功」ではないけれど、それなりに日々の生活を送れている、若干の余裕が醸せる「成功者」の発表ツールになっている側面。であるがゆえに、そこを通じて集められるのは、結果的に「小さくとも今、成功/安定しているもの」の集まりにならざるを得ない。

 

その同窓会が近々開かれようとしている。大学を出た瞬間には、一部上場大企業に入っていた知人もいたのだが、昨今のニュースになるような凋落を経験しているであろう人など、連絡が取れなくなっている人も少なくない。そもそも連絡先などがつかめていても、返事すら来ない。それほど成功とまでいかない「安定」さえむつかしい昨今。生きるって難しい。

 

…であるからこその、成功、失敗の関係なしに、利害関係なしに昔のよしみで集まれる集まりに出る意味があると思うのだけれど。そこにはプライドと言うこれまた大きな壁も立ちはだかるのだろう。

 

人生、山あり谷あり。