社会を変えるより難しいこと

最近の状況を見ていると、社会の状況を変えようと為政者が七転八倒している状況があちこちで。特に昨今、昔なら「海外の状況」などを目にすることはなかったのだけれど、他の国の状況、他の国の変わりっぷりが毎日目に飛び込んでくる状況だから、意識を持った人は、変わらなきゃ、変えなきゃ…とあせって必死で「変えよう」と奔走する。

とは言え、焦れば焦るほど、うまく行くはずの事も行かなくなり、だからこそさらに焦って来て…という悪いスパイラルに捕らえられて、なかなかうまく回らない世の中が、毎日ニュースで取り上げられて。

 

社会を変えるために、本当に変えなければならないさらにその根幹にあるモノは、たぶん、「人の考え方」だろう。それまではうまく行っていた、でも「最近」うまく行かなくなった。それはなぜか?「自分たち以外のどこかが」うまく行かなくなったからではないのか?なら、「自分が変わる」のではなく、「そのうまく行かなかったところ」を変えてくれ。こうなりがちだけれど、そもそも根幹から変わらなければならない事象が増えつつある今、時代が変わろうとしているであろう今、人々自身が変わらなければ、世の中が、社会が変わることはない。ある意味、新世代と旧世代のせめぎあいの時代、過渡期というのが「今」なのだろう。

 

今までうまくいっていた事を打ち破る事。より正確に言うと、「今までうまく行っていたと信じていた事を裏付けていると信じている行動」を打ち破る事。これをより多くの人々に値付けさせることこそが、社会を変えるという事。

 

たぶん、少なくとも今生きているという人にとってそれまでの行動は、全く間違っていた…というわけじゃない。となると、満点の正解ではないかもしれないが、60点の正解になりえるのだろう。だがこれを、今までの実績のない、もしかしたら120点、でももしかすると5点の正解の方式に変えろと言われたら?

たぶん普通は、保証がないなら今のままで、と変えない人の方が多いだろう。それぐらい、人々の考え方は変わらないし、だから当然、行動も変わらない。ただし、今の60点は、毎年どんどん下がっていく60点。だとするならば、余力のあるうちに、どこかで、新しい考え方、方式に切り替えないと、そもそも切り替える力すら失ってしまうかもしれない。ここが難しいところ。

 

幸いなことに、人は必ず死ぬ。いくら平均寿命が延びたとしても、これまで永遠に生き続けた人はいない。これにより昔にこだわる考え方は徐々に消え、社会は徐々に新しい考え方へとシフトする。

たぶん、いまから200年後。そこから見れば、今の時代は混沌とした新しい切り替えの時代だったと、歴史で習うことになっているかもしれない。それは今我々が産業革命や、明治維新を学んだと同じように。