自分が手放すという事

自社開発を止めて、設計はするものの、製造は外部委託する場合がある。ODMとか、昔はOEMとか言われていたっけ。要するに、自社の工賃ではペイしないので、安いところを使うという事。

日本で作ると高いから、海外の工賃の安い国に工場を作って、日本に逆輸入するというのもある。急激な円高が見込まれた際にはよく取られた手だ。

 

正社員では工賃が高いので、正社員をリストラしてから、非正規雇用で工賃の安い人を雇って何とかするというやり方もある。例外は無いわけではないけれど、こういうことをしていると、その作業に従事する人や、その非正規に任せた工程の継続性がなくなり、やがてサービスや、製品の品質が落ちがちになる。

 

いずれの場合にしても、自分たちの正社員、内輪で何とかできなくなった時、それを外に出す、継続雇用が見込めないが工賃の安い誰かに頼む…という事を始めた瞬間に、ある覚悟が必要になる。それは、もうその部分は「自分たちですることはない」「そこで自分たちとしての付加価値を生み出すことはない」という事。

だから、そこが安い誰かにとってかわられたところで、痛くもかゆくもないし、いやむしろお荷物の作業、邪魔な作業、付加価値を生み出さない作業ですから…という覚悟があってこそ、そうした決断に至っているはず…なのだが。

 

だがここを間違い始めたり、出す部分の覚悟がなかったりすると、そもそもの事業自体の歯車が狂い始めたりする。「モノづくりの会社」が、物を作ることを止めてしまう事でおかしくなったところは枚挙にいとまがないだろう。

何でもかんでも「安さ追求」ばかりをしていることで、そもそもの技術が残らなかったり、ノウハウが定着していない会社もあちこちで見かける。

 

さらにこの話はこの先の将来にもかかわるだろう。それは、どの作業をAIに任せていくのか、ロボットに任せていくのか、といった部分に置き換わってくる。

ただでさえ日本は労働人口が急激に減少する。だからと言って、さてそこの部分を「人」ではなくAIやマシンに任せてしまっていいのだろうか?

 

いったん任せてしまうとどうなるのか?たぶんそこでの技術は継承できなくなり、マシンなどに任せてしまった後は、その後は「人間」では操作できなくなるものがいくつも出てくることだろう。

車の自動運転。結構な事ではあるし、私は実現を願っている…が、本当に完全に自動運転にしてしまった世界では、たぶん人間界において、運転技術が廃れてしまう世界が来るんじゃないだろうか(一部の、趣味での運転を除いて)。

 

だから、手放すという事は、もう近い将来、自分たちでそれができなくなったとしてもいいと腹をくくる事。

さて「それ」、本当に自分以外の誰かに任せていいもんですかね?