ムチャする奴が

ここまでネットが発達する以前、電子メールが互いにやり取りできるといった程度がやっとの環境を、一部企業と一部大学との間で、互いに手弁当でネットワークを張ったところからスタートしたのが日本のインターネット。その後ネットがどんどん広がり発達して、いろんなサービス、システムが生み出された。今では家にいながら様々なサービスを受け、発注が完了し、お金まで振り込むことができるような世界が実現された。

 

上記にある通り、当初は「ある程度分かった人々」が、その「わかっている事」が前提で接続、運用されていたからこそのネット。なので、こんなムチャをするとヤバいか…ということは、お互い良く分かった上で運用をしていた。だからこそ、安くできたし、だからこそ発達してきた過去がある。

 

だが昨今はと言うと、前提が以前とは違い、ムチャする奴がいるかもしれない、だからそれに対しては歯止めをかけたり、対策を打ったりすることが必要になってくる。これをアナウンスしていなかったり、対策を打てていなかったりすると、その部分で無茶を強いられることによってサービス提供企業が大打撃を受けたり、社会的に訴えられかねない面倒な状況だ。

この一番の例として、無制限に容量を提供するネットワークストレージというのは、一般コンシューマ向けとしてはいまだ成功していないのではないだろうか?なぜなら、一般向けとなった瞬間に、とんでもないムチャをする輩が必ず出てくるからだ。これに対する対策を考えたり、手を打ったりする事自体が高コスト。だから性善説で回せる世界と言うのは、(うっかりミスに対する対策は必要ではある者の)面倒な対策コストが大きく抑えられる世界。

でも、性善説で回している世界は、ある意味、隠れて悪いことを一人くらい実行しても、まぁまぁうまく回ってしまう世界。その意味では、「正直者が馬鹿を見るかもしれない世界」と言ってもいいかもしれない。が、そう言う世界だからこそ安く、上手く、ギスギスせずに回った世界。

 

そう考えるとやはり、正直者が馬鹿を見ないような、損をしないような、そんな世界を作るためのコストは、今や多少なりともかけざるを得ないのかもね。

私は、少しコストをかける程度で正直者が良い思いをする世界の方が、結果として住みやすい、安心できる世界になると信じているのだけれど。