前提条件の再考
すでにどこのマスコミも取り上げているように、日本の人口は明らかに減少期に入った。このまま大きな施策の転換でもない限り、日本の人口は急激に減り、同時に労働者人口が減り、いわゆるGDPは伸びるどころか、縮小方向に動き出してもおかしくない状況だろう。サミットやG7云々と言っていられるのもあと何年見られる状況か、ということだ。
別に日本に限った事ではないけれど、そもそもこの50年~100年程度は、どこの国においても、人口が増えることを前提とした経済発展を描いてきたはずだ。その「エンジン」をつかって、いかに効率よく国の経済を発展させ、世界の中でのし上がっていくのかというのが、これまでの経済成長の大原則。
かといって、鼠算式に倍々ゲームで爆発的にインフレーションしてもらっても、人の意識、経済の仕組みが追い付かないため、それらのバランスを取りながら、徐々に発展させてきたのがこの50年~100年ではないのか。
ただ、日本がほぼ先頭を切っているが、人口が減る国はほかにもある。急激に国民の平均年齢が上がったり、それによる医療費の拡大に悩まされるであろう国々は少なくない。もちろん、まだこれから人口が伸びるであろう国もある。これからはそんな、今まで以上に様々な側面を持った+成長の国、-成長の国がない交ぜになった地球が運営されていく必要がある。
となれば、まずは手始めに日本としては、「人口が減る事」による幸せの方向性を模索する必要がある。…が、これほど難しいことはない。すくなくとも今までは「成長」が前提となった前の世代が「お手本」になっているし、身近なところではそうした「親」が、「自分たちは成長したけど、あんたからはマイナスね」という事を子供に望みはしないだろう。
だが、否応なしに事実は突きつけられる。
不幸中の幸いなのだろうか?今の10代20代は、いわゆる「インフレ」を身をもって感じたことがない世代ではないだろうか。-ではないものの、成長しない経済を前提に育ってきた人々が社会に出始めている。
そんな彼らに、消費を伸ばせだの、無理して買えだのと言ったところでそもそも通用しない。となれば当然、「今まで基準の経済」は回らないし、指標としてそもそも不適切ではないだろうか。
だが、減ることによる幸せ、少なくなることによる幸せは何か、見かけ上はどんどん不便になって行くことになりはしないか?そんな不安にもさいなまれたりする。
となればなるほど、それぞれの「個」に、個としての望みや幸せ、ありたい姿が求められる時代。今までの経済発展の時代は、自分が希望するしないにかかわらず、周りの経済が何となく成長していたことで個の幸せも形作られてきた。それがまわりまかせにできなくなる世界。それがもうすぐ目の前に来ている。
あなたの幸せは何ですか?
10年後、どうなっていたいですか?