そもそもを忘れると

会社などで会議をしていると、時に出会うことがある。

「それ、何のためにやるんですか?そもそも今回のプロジェクト、何のためにやってるんです?」

 

そればかりを考えすぎて、周りが見えなくなってきたり、そこの技術を追求したくなったりしたときは要注意。それ、何のためにやってるんでしたっけ?この振り返り、いったん立ち止まって、本来の意図を確認することは重要な事。

 

この究極が、「働くために生きている」ような人ではないのかなぁと。もちろん、働くために生きる人がいても悪くはないけれど、そもそも人は「生きるために働いている」はずではないのか?に立ち戻れた瞬間に、おかしな行動には抑制が効くはず。
が、それすら考えられないほどへとへとに働かされている実情があるからこそ、過労死や鬱が日常的に目にする現状になっているというのは皆さんの感覚通り。

 

世の中、経済原理に従って、経済だけを発展させていけばいい…ような気分になっている人もたくさんいるようだけれど、そもそも「生きていくに足る労働」がまずは基本でしょ?ただ現実にはそこに競争原理が導入されているため、以前と全く同じでは、相対的に付加価値が下がるというシステム。だからこそ、一生懸命働かなければならない現実があるという事。その「システムの効きが薄いところ」に位置する人々、たとえば世界に数えるほどしかいない技術を持つ人や、芸術的価値を認められた唯一無二の人などは、そうはなり難いのかもしれないけれど。それでも人間の本性として「飽きる」という仕組みが、その部分においても常に研鑽させるシステムとして働く。

 

ただ何にせよ、そもそも生きるために働いていたはずで、働くために生きている生物は人間以外にはいない。今一度何のために生きているのか、そもそもを思い出したい昨今。

 

それでも、働かないと生きていけないというのも人間なんだよね。

ベーシックインカムなんかも議論され始めているけれど、100年後の世界はどうなっているのかな。