考えることが(盲目的に)信頼することに変わっていないか

民主主義の手法の一つとして、選挙というのがあげられている。最近もあちこちの都道府県や市町村における首長選挙が行われている。これによって、推している政党が指示されたの、いや劣勢だのとメディアが報道する。

 

選挙でえらばれる人も、選挙で選ぶ人も、今一度考え直した方が良いんじゃないかと感じている。

選挙で選ばれた方は、勝ち抜いたことで、「ここから数年、任期の間は、なんでも俺の思い通りできる…」わけではないからね。あなたの「すべての考え方」が信任されたわけでもないからね。

特に昨今の選挙は、一部の争点だけが認められたか否かを取り上げがちだけれど、それ以外のところも何もかも認めている有権者…ではないはずだ。選挙の時に語っていなかったところは、きちんと説明し、意思を表明し、それを信任させてこそ代表者としての責務を果たすという事。これを昨今の当選者の多くが勘違いしている気がして仕方がない。

そもそも現役政治家で、「丁寧に説明する」の結果が今の現状だ。ヤル気あんのか?って感じじゃないですか?

 

選ぶ方も選ぶ方で、一票を投じる際に、盲目的に任せていないか?本来は、政治について考えに考え、それらを任せられる人を選ぶ必要があるはずなのに、「(あまり考えずに)まかせた、信頼した!」といった軽い気持ちで選ばれている人が多い気がする。

もちろん、そうでしか選抜できない候補者群という実情があるからこそ、そうした投げやりな気持ちにもなる気持ちはよくわかるのだけれど。

 

時々思うのだ。実現はまず不可能なのだけれど、今の「信任投票」ではなく、「不信任投票」という選挙形態があるとしたら、いったい誰がもっとも票が少ない(結果的に信任される)のか?と。

入れたくない人はたくさんいるのだよ。

ただでさえ人口が減りつつある日本で。やはり政治も人材不足が否めないんだよね。

足の引っ張り合いの国で、やっぱり目立つと損なんだよね。orz