弱点を意識する

学業にせよ仕事にせよ、弱点をなくそうと勉強し、学ぶ人がいる。確かに、めちゃくちゃできる人は何でもできて、本当にすごい人がいるけれど、何でもかんでも「満点」はあり得ない。万に一つ、何百万に一つの確率でそういう人がいたとしても、それはたぶんありきたりながら「欠点が見つからない事」が欠点だなんていうことなんだと本当に思う。

 

弱点は誰にでもある。勉強できる人が運動できなかったり、どちらもできるけれど容姿が残念だったり。「弱点」というからいけないポイントのように感じるかもしれないけれど、要するに「得意でないところ」という意味だととらえればわかりやすいだろう。

 

その「得意でないところ」をどのように自分で意識するか、とらえるか。それこそが自分と他人との界面におけるアプローチポイントの一つになるだろう。

海外においては、「私はこれができます!(えっへん)」的なアプローチが趨勢を占めるようだけれど、かなり欧米化されてきている日本においてはまだそこまでいかない。むしろ「ここがまだできなくて」と謙遜から入る方が、組織やグループ内には溶け込みやすかったりする事さえあるくらい。

 

弱点だから近づかないというのももちろん一つのアプローチ。だけれど、弱点だからこそ、何を間違ったって当たり前でしょ…と果敢にアプローチする人もいる。こういう人、実はとっても伸びたりする。素直だとか、チャレンジャーとか言われる人でこういう人が多いのだけれど、弱いからこそ「間違って当たり前、失敗して当たり前、それより、経験せずにいることの方がもったいない。だからいっちょうやってみる!」というその精神。

 

もちろん、そうしてチャレンジしても、失敗もするし、大した結果を生みはしないのが最初のチャレンジ。でもそこで「おもしろさ」に目覚めることがあれば、もうこれは「弱点ではなくなった」に等しく、メキメキとその才能に開花する人がいるくらい。

そのためには、「いつそれにチャレンジする」のか、「どんなコーチ(人)が教えてくれる時にチャレンジする」のかを見極めることが重要。

いわゆる義務教育や高校くらいまでは、まず先生を選べない。が、一度社会に出たら、「先生を選ぶ」ことほど重要なことはない。うまく教えてくれる人、楽しく教えてくれる人、真の楽しみのポイントが分かっている人に教わるのとそうでないのとでは、全く広がる世界が違う。

 

弱点を意識し、そして先生を選ぶ。
やっぱり人生は、ずっと先達を探し続ける旅なのかな。