PCを持たない人々

すでに大学全入時代。入るところを選り好みさえしなければ、誰でもが大学に入れる時代にすでになっていると聞く。結構な学費がかかるという事さえ除けば、日本の若者は総じて高学歴が「あたりまえ」になりつつあるのが今の時代だという事。逆に言えば、使えない学士を量産しているとも聞くのだが。

 

であるがゆえに、「高学歴」だからみんな以前より頭がいい、使える、仕事ができる…とはならないのが世の常。都会の列車に乗ればお分かりの通り、皆さんの多くはすでに「スマホ」を使いこなす世の中になったのだけれど、これは「何でもかんでもスマホで済ますことができる時代」という事でもあり、上記の高学歴の学生さんにおいてさえ例外ではないという事。

 

会社に入ればすでに、仕事の多くはパソコンという「道具」で進められている。一昔前の、「読み書きそろばん」に匹敵する能力が、パソコンでメールを描いたり、書類を作成したりする能力に進化したと言い換えても過言ではない。
だが、上記の通り、大学生においてさえ「スマホ」で済ますことができる世の中になりつつあり、大卒であったとしても「パソコン」を使いこなせない人が多く出始めている世の中に。

 

つい20年ほど前は、パソコンのキーボード入力に、日本人は抵抗があるだろうといった議論さえなされていたけれど、今時は、仕事でキーボードが「叩け」て当たり前。入力方法などわざわざ会社で教えるところは、よほどの特殊な職場でなければないのではないだろうか?

 

それでもスマホタブレットがこれほど出回っている世の中。極端な言い方をするなら、スマホタブレットは、主に「情報を見る人」が使う道具であり、他方パソコンは、そうした「情報を作り出す道具」だとも言えなくもない(もちろん、スマホでもタブレットでも、作れることはいろいろあるのは重々承知なのですがね…)。

要は、見るだけの人か、加工できる人か。

処理方法が分かっている人か、そうでない人か。

 

今や改めて言うまでもなくネットの時代。すべてではないけれど、たいていの情報はネット上に結構ある。どうやって探すのか?そこにひとつの関門があり、その情報をどのようにアクセスし、画面に呼び出し、理解するのか(場合によっては加工するのか)でさらなる関門がある。要するに、知識と技術さえあれば、考えて学ぶ力さえあれば、どこにいてもなんらか新しいことを生むことが可能な便利な時代。逆に言えば、そうしたリテラシーが無ければ、いつまでもそのレベルから抜け出せない時代。生きる力としてパソコンを使えることはやはり基礎実力として必要な時代のはず。