決めているのは誰か

先日、いろんな縁がつながって、同窓会を行った。

当時としては、英語ができないやつ、成績が悪い奴、めちゃくちゃできたやつ、一流大学に進学して一流企業と言われる企業に入った奴などなど、当然いろんなやつがいたけれど、それなりにいろいろと悲喜こもごも。

 

結果として高校や専門学校しか出ていなくても、きちんと働けている奴はいるし、一流大学をでて一流企業に勤められていても、その後にリストラに合って苦難の道を歩んでいる奴もいる。当時英語が得意で、当人はそうした道に進みたいと思っていた人でも、いまは全然その能力を使えていない者もいれば、当時は英語なんて嫌いだったに違いない奴が、今は英語を使って仕事をしていたりする。

 

もちろん、目標に向けて着実に近づいていき、それをものにする奴もいる。でもみんながみんなそうではないし、目標を目指したところで「必ず」到達できるわけではない。
そんな時にどうするのか、どう判断するのか?

 

物理的「道」ならば、その岐路に立たされた瞬間に、どれかの道を選ばねばならない事は自明だ。けれど人生における「道」は、結構意識していなければわからない。その時に「あちら」ではなく「そちら」を選んだばっかりに「こうなってしまった人」もいれば、「あちら」を選んだ末に、その時には相当苦労はしたんだろうけれど、今になって花開いている人もいる。

 

何が幸せか?なんて人から押し付けられるものではない。どこで苦労するか?も人それぞれ。当たり前ながら、「それ」が当人にとっては苦労であることもあるし、同じ内容でも別の人にとっては何でもないことだってある。

だから、決めているのはどこかで「右」ではなく「左」を選んだ自分自身。目の前の事だけを選んだからと言って必ず失敗するわけではない。でも少し先を見据えて選択しつづけても、必ず成功するとも限らない。常に自分の道を修正し続ける、自分でコントロールする意思を持ち、自分の位置を確認する癖をつけること。

 

お金でさえ、あればあったで苦労するらしい。無ければ無いで何とかなるという人もいる。悲観するのも、楽観するのも自分。誰かと比べているのも自分。幸せを決めているのも自分。不幸だと悲観しているのも自分。

だから、自分に問いかけてみる。おまえ、最近がんばってるか?って。

そいつがちょっとはにかんで笑っていたら、良いんじゃないの?

自分自身が信じられなくなるのが、やっぱり一番キツイよね。