閉めてる事情

地方はもちろん、都会でも少し寂れた地域に入ると、シャッター通りなどと言った商店街などを目にすることがある。場合によっては、昼日中は全くやっていなくとも、夕方から店を開けるような飲み屋もあるだろうけれど、外見から見て、まぁここ半年くらいはずっと開いてないだろうというお店も山のようにある。このそれぞれの店の事情は同じなのか何なのか?

 

我々的にわかりやすい想像はと言うと、「あぁ、ここ、なかなか儲からないのかな」という事。お店を空けていたところで、人通りもまばらだろうし、家賃に対して売り上げは厳しそうだと言った想像はすぐにできる。…が、本当にすべてがそうなのか?

たとえば、実はもう蓄えもできたので、お店などと言う面倒なことをやる必要がない、特に新しい借り手の話もないので、閉めているだけだ…という事情もあるかもしれないではないかと。

 

それが田んぼの中の一軒家で店が閉まっているということと、繁華街の中で店が閉まっているという事を、もちろん周りの事情に左右されるだろうけれど、見た目だけで一律に理由を自分で決めてしまう事の方がある意味危ないのではないのか?

 

もしも、本当に蓄えが十分で店を閉めたとするならば、それは閉めた当初に「次の商売に切り替わる継承のシステムがうまく動いていなかった」ことが問題で、そうしたシステム構築を怠ったばかりに、結果として寂れた場所、人の集まらない場所を作ってしまったのかもしれない。

 

…というくらい、以前の日本の人口が増加しつつあるフェーズという事自体が、経済を回す自然のエンジンであった20世紀。でも21世紀になり、その自然のエンジンが回らなくなれば、当然ながら人為的になにか回してやらなければならなくなっている。その仕組みや力、お金をうまく投入し続けなければ、人為的に回そうとし続けなければならない、もちろんどこかで回転は止まったり。
物理的仕組みと同じで、いったん「止まってしまったもの」を、動かし始めるには、実は大きな力が必要。さらに「反対に動き出してしまったもの」に対しては、止めるための力と、そして正常な方向に動かす力となれば、それはそれは莫大な大きさのエネルギーが必要で。

 

一つの事象を見逃したが為に、そこにうまい仕組みがなかったために、あちこちが止まり始め、錆が浮き、不具合が出始めている。かといって、一斉に「全パーツを取り換える」ことなどできないのが国であり社会システム。回す仕組みに頭を使う人って…政治家には期待が…。