できるから、できないから

1) それしかできないから、それ以外の選択肢がなく、仕方なくそうしている人…もいる。

2) それ以外にもできるけれど、でも、それが楽だったり、好きだったりするから、そうしている人…もいる。

 

外見で判断する、ということは、上記の二種類1)2)を、結果として同じだと見るという事。でも実態としては、選択肢があった上でそちらを選んだのか、そもそも選択の余地なくそちらを選ばざるを得なかったのかという違いがある。

 

選んでそうなったものというのは、それはそれで、「選んだ時点」であなたが選んだという責務を負っているという事。でも、選ぶ選択肢がなく、そもそもそれしかなかったというのは、自分ではどうしようもなかったという事。

 

地方都市で昼食をとる場合。他に飯屋は存在しておらず、この店しかないといった状況だったり、もっと他のものが食べたいけれど、カレーかラーメンしかまともな食事が提供されていなかったり。

まともな選択肢がないという事ほど悲しいことはない。が、選択肢が提供できているというのは、ある意味それにかんして「豊かな」状況でもあるという事。

 

選択肢。それを準備できるだけの土壌と、器量と、お金と、時間等々、様々なリソースプールがあってこその豊かさ。すべてが選択肢になりうるわけではなく、全体のごく一部が選択肢として提供されうるためには、提供されうる母集団の数が多い、大きいことが重要になる。

 

今、日本の人口は減少しつつある。高齢化となり、就労人口の割合が下がりつつある。結果、活躍できるという母集団が小さくなりつつある。その意味で「豊かな土壌」が貧しい状況に急速に陥りつつあるという状況にある。

 

今月は選挙があるらしい。それも、政権選択選挙になるらしい。