意見を戦わせること

会議において、意見を言わないとか、いつも肯定しかしないなど、「それならその会議にいる必要はないではないか」という事を聞くことがある。

上記と同じ会社の同じメンバーの会議ではないかもしれないが、昨今の事情や流れを聞きかじって、それではと思い立って会議の中で、個人的に思う意見をバンバン言って、うるさい奴だ、反対派だ、などととらえられることもある。

 

まぁ安易に言い切るとするなら、会議に意見せよという方も、それに乗じて自分の言いたいことを無礼講のようになんでも言いすぎるやつも、どちらも勝手がわからなさ過ぎている、身勝手すぎるやつではないかと。

 

ただし、特に「発言しないやつは…」という方に関しては言いたいことがある。

それは、「意見を言え、発言しろ」と言うやつに限って、自分の気にする事だったり本気で反対されると逆上したり、恨みを買ったり、結構職位が高かったり年齢が上だったりすると、根に持たれて、その後の活動、キャリアに傷をつけられる、他で仕返しされる可能性がどのくらい残っているのかという事。

要するに、「発言における安全」をいかに確保してくれるのか?会議は会議で、それ以外において単なる力関係を行使しないという、信頼、約束があってこその、自由な発言ではないかと。

 

会議で発言できていない人とは、本当に意見も持たず/考えられずに、何も「言えない」やつと、意見はあるけれど安全性が確保されているかどうかがかなり怪しいから「言わない」やつと、二種類あるのではないかという事。そして、頭のいい奴、ずる賢い奴ほど、危ないことは「言わない」のだ。

職位が高い方が(その当人が思っている以上に)発言の内容に対して議論に対して「のみ」戦わせることを保証し「議論で戦いたい」のであり、逆に「仕事では、その議論をネタに権力を恨みのために振るわない」ということが意識できていて、それを表明、体現するからこその、それ以外のものが活発に発言できる土壌になりえる、ということ。

要するに、職位の高いものの振る舞い、権力を持つものの振る舞いが、他の多くのメンバーに信じられていない/信用されていない証として、他のものが、反対意見などを述べないのだよ、という事。

恐怖政治を引こうものなら効果てきめんだ。

 

活発に意見が出ないのは、極端な馬鹿か、安全に敏感で頭のいいやつかのどちらかだということだったりしませんか。そしてそれぐらい頭のいい奴でなければ、まっとうな議論にならないという事。

他では頭がいいように見える者が言葉を発する事が減っているということが意味すること。

泣けてくるぜ。