本当にスゴイは

ある事象で、「いや、こいつはホントにすごいなぁ!」と感心する出来事があった。

 

で、ちょっと考えてみたのだ、それがどのくらいすごいのか?と。

そしてたどり着いたのは。

「実はすごい!と気づいていないところにこそ、本当に気づいてしまったとたんに、こいつはすごい!ということがあるのではないか?」と。「すごいとわからせない事自体がスゴイんじゃないの?」と。

 

欧米的文化圏からやってくる人たちと話をすると、彼らは、自分のアピールが大変うまい。何かちょっとしたことでも、すぐに手をあげ、「私はこんなにうまくやった」「わたしはこんなにできている」と自己アピールに余念がない。たぶん、子供のころからの訓練として、事あるごとにそうしたトレーニングがなされ、染みついているのであろう。

正直なところ、そうしてアピールされたこと自体がそれほどスゴイ事ばかり…と言う気はしていない。そんな程度なら日本人の〇〇君や××さんだってやっているはずでは?誰もがやっている当たり前の事では?と思う事しばしば。だが日本人はその時、そんな当たり前の事をアピールすることは(少なくとも小学校高学年以降は)ほとんどない。発表する際には、少なくとも「何か良い事」「少しでも改善できること」などが望まれており、(特に社会人になってからこちらは)「明らかに」周りからそう判断されそうでない限り、そうした自己アピールを出してこない。

違う側面で言えば、実は本当にすごいことを彼ら、彼女たちがやっていたとしても、多分内心ではけっこうやっていると思っていても、万が一の過小評価に合わないために、自己アピールしてこない。

でも、たぶんそこにこそ実は「スゴイ」は隠れていて、それはほかの誰もがそう簡単にできる事でない事が隠れていたりする。

 

だからね、たぶん日本人のアピールにおいての一つの障壁は、当たり前の事を「周囲が褒めない」ところにあるんだよね。当たり前を当たり前にできるって、実はすごいことじゃない。当人には当たり前すぎて、もうこの国に長年住んでいる人にとっては、あまりに「日常」になっていてすごさ加減がマヒしちゃってるかもしれないけれど。

であるが故に、当人も褒められ慣れていない。もう少し普通に自信を持てば良いものを、謙遜することで、いやいやそれ程でも…の雰囲気を前面に出すことがお約束になっている。

 

だから、ちょっと友達に聞いてこらん、隣の人に聞いてごらんよ、これどうですかね?大したことないっすか?とね。
と同時に、友達の当たり前もほめてあげようよ。お前すごいよね!あなたすばらしいよ!って。

周りを褒めて、自分も自信を持つ。要するにみんなが下を向くんじゃなくて、前を向かなくちゃいけないんだからさ。