分からない事はありませんか?
みんなの知識をあげていくために丁寧に説明しようとすると、どうしてもこの一言を言わざるを得なくなる。
分からない事はありませんか?
そもそもこんなことを言わずとも、これはどうなんですか?ここはどう考えればいいですか?と、自主的に質問してきてくれる人がいたりすれば、願ったりかなったり。(逆に、これを恐れているようでは、それはとうてい教えられるレベルではないという事だ。)
だがそれすら無く、誰も質問すらしないなら、みんなわかっているのか?
そもそも、自分から質問してくる人にはポイントが2つある。それは、「自分から聞いてみよう」という勇気。特に日本人の場合、なかなか自ら質問してこない。(これはこれで語りたいことはあるのだが、また別の機会に。)
もうひとつが実は肝心だ。それは、「自分はここが分かっていない」という事を認識できている事。
分からない人は、何がわかっていないかが分からない。だから厄介なのだ。
分からないことがなんなのかがわかっている人は、「それ」について質問できる。
でも、わからないことがわからなければ、どう質問すべきかも分からない。
なので、
「分からなければ聞いてください」
は、万人に対する質問ではなく、実は、この前提をクリアできた人で、でも分からないところがある人向けの質問に他ならない。
あえて言えば、前提をクリアできていない人には、こう質問せざるを得ないかもしれない。
「何を聞けばいいかわからない人、もしくは、全く理解できない人はいませんか?」
こうなるとかなり深刻だ。ふつうそうした教えやクラスを設計する際には、このくらい説明すれば理解してくれる…と言う前提で設計されている。それに乗れなかった、レベルが合わず難しすぎたということ。
まぁこれは学校教育からして永遠の課題であり、個別指導でない限り完全に対応するのはなかなか難しいこと。
だがそれでも聞かなければならないのは、「わからない事はありませんか?」だろう。
こここそが、どうすればいいかわからないところなんだけれど、満点の解がないところが悩みどころ、という事か。