成長という敵

子供のころは、「大きくなったら…」と夢が広がった。ご飯を食べて、運動をして、勉強をしていれば、それだけで「成長」していったからだ。

成長という喜び。そう、当時は成長とは「喜び」の意味だったところがある。

 

だが成人も過ぎ、社会人として独り立ちし始めると、今度はその「成長」に苦しめられる。学生時代のように、飯を食って働くだけ…では成長しない。むしろ過去の資産を食いつぶしているにすぎず、成長するためには新しいことを学び続けなければならないというプレッシャーにさらされている。そうしなければ結果として自分の相対的は下がり、結果「成長しなければいけない」という苦しみにさいなまれることにもなる。

 

 

Googleが社内において、仕事時間のうち20%は仕事と違う事をしなさい、という情報がネットを駆け巡ったことがあった。これを聞いた仕事仲間が「いいなぁ、仕事以外のそんな時間が持てるなんて羨ましい」と言っていたが、私はこれはちょっと考え物だなぁと思ったものだ。

Googleほどであれば知っている。個々の成長無くして企業の成長はあり得ない。いかにして成長や、イノベーションを担保するか?だからそれを個人に「課して」、個人が「成長しなさい」とのメッセージと受け止めるべきではないのかと。

 

まだまだ日本の多くの企業はそこまではいかない。仕事の時間を割いてまで、新しいことを生み出す時間に使うよりも、今の仕事の効率を上げること、今の儲けをいかに増やすかに血道をあげている企業の方が大半だろう。
であるからこそ不安に思う。それほどにまで「現業」を効率化することで「今」は良い、が、これから3年後、5年後はどうするのかと?それを「個人」に委ねていたりしないか?企業としての戦略は無いのか?と。

 

ステマティックに、会社が、組織が、全体最適として機能し、新しい価値を生み出している事の意味と、それを個人にのみ委ねている企業と。

ある意味、今の企業の終焉の始まりすら感じざるを得ないと思うほどに。