処遇
先日、ある会社で働いている人と二人で飲む機会があり、かなり深い話になった。
これまで会社を引っ張って行っていた人たち、その人の上司たちが、そろそろ役職定年になる/なったらしい。まぁ最近よく聞く話だ。
だが問題はここから。役職定年になった後にもそこで働き続けるなら、給与は当然ながらがっくりと下がる。社員階級レベルがいったんリセットされ、一番下から開始されるらしい。となると、基本月給20万程度。年収240万。それにプラスして多少のボーナスだそうだ。
これまで役職のついていた人からすると、たぶん、1/5、1/6レベルの給与レベル。人に依っては軽く1千万を超えていた管理職クラスもいる事だろう。
もちろん、その人たちは「偶然」その地位に就いたのではなく、実力をもってしてその会社の中で認められたものであり、まず間違いなく、管理職として相当の実力を持っている人。それがある日、誕生日とともに給与レベルとして奈落の底に突き落とされる。能力はほぼそのままで。
…であるため、即刻会社を辞めて他の企業に再就職する人もいる。こういう人は問題ない。自分の人生を自分でバリバリ切り開く人だ。
そうではない人もいる。一応再就職支援の制度に乗って、それだと上記の240万+ボーナス。今更ゼロから探すリスクも大変だし、背負えないし、それでいいと満足する人がいる。
誕生日を迎えたことで、いきなり才能がリセットされるわけではない。知識がリセットされるわけではない。が、この「急激な」降格はなんなのだろうか?
百歩譲って、「俺は良いから」と満足している当人は良いとして、それをはたから見ている他の社員において、モチベーションになるだろうか?
いくら頑張ったとしても、年齢でこうしてリセットさせられる。なにかそれまでの知識を優遇するでもなく、貢献を見据えるでもなく、あるレベルから下を「チョキン」と切り取るように、切り離す。
すべて、好景気ではないのが原因だ…と言われればそれまでかもしれない。が、そもそもこのような会社員の仕組み、年金の仕組み、退職金の仕組みなど、ここ100年も日本で続いていない仕組みの上でのはなし。それに翻弄されて人生は過ぎていく。
そう考えると結局いつも結論は、自分の楽しみ/自分がなりたい何かを、きちんと自分が意識できているか/それに向かえているのか?自分自身での満足が意識できているならば、何も周りに振り回されることはない。
でも、それでも処遇は気になる。
要するにやっていることは、労働人口も減少している中、ジリ貧方向でしかないというのが無策感を表しているのだけれど。
最後まで、一つも失敗しなかった人が成功になる仕組み、日本。
それでいいのかね?