対価の概念

時々こういう人がいる。

それ便利だね?無料?ただ?無料は無いの?

 

なんでも無料とか、ただとか、安ければいいという人がいる。もちろん、無料である事が一つの価値でもあるので、むげには否定したくはない。が、多くの場合そう問いかける人の多くは、価値そのものが見えていない、相対的に自分自身の対価も意識できていない人が多いのではないか?と想像している。

 

時にひどい人もいて、手伝ってもらうときには「ただで」と無料を示唆するのに、別件でその人本人に手伝ってもらおうとすると、「じゃあこれこれで」と結構な価格を提示したりする。要するに「自分は偉い人、それ以外の人は眼中にない」という典型でもある。こういう人はたぶん「本当の友達」にはならない事がほとんどなので、静かにサヨナラしている。

 

ただ、単価と言っても様々な価格がある。スキルに対する価格。人が動くだけで発生する時間単価。その他にもコネ、知り合いも貴重な価値で、それらが相まっての価値/価格になるはずだ。

もしも感覚がつかめないのなら、時給1000円の人がこの作業をするとすると、持っている知識に対する単価、手先の器用さに対する単価、作業時間単価…というのを考え始めた瞬間に、瞬く間にかなりの値段になるのが想像できる事だろう。要するに世間は、それくらい高い価格をベースに、「互いに」回している世界が今の社会だという事。これを、自分だけは特別で、自分には無料で奉仕される…と思った瞬間、それは自分の仕事や時給を意識できていない、していないことを露呈させることにつながるのは当然だろう。

だからね、一見無料に見えるものには何らかのカラクリがあり、それを想像する、想いを馳せるクセをつけたほうがいいのかなと思うのですよ。

 

ということで、あなたが自分で「それ」を引き受けるなら、いくらもらいたいっすか?