その先

僕は、僕がまだ知らないことがある、ということを知っている。

これが無知の知

この話を聞いた時には、それなりにかなり感動したりもしたのだが、と同時にそこから先の更なる悩みが生まれたといってもいい。 

それを認識したうえで、その知らないことをどう考えればいいのか?知らないことを考える?そもそもそれ自体が矛盾ではないのか?とか。

 

そう、知らないことを想像するのは大変むつかしい。隠されていることを暴く、本来あるべきものならまだしも、あるかないかすら知らないものがが見えなくなっている、隠されているということ自体が、とても難易度が高い探索。

学校に行っているうちは、「はい、こんなこと知らないでしょ?」と次々と知らないことを教えてくれるというのが学習の流れ。だが、それが終わり、社会人になると、自分で「知らないこと」を探し出し、それを学ぶことが必要になる。

たいていは、必要だけれどまだ知らない、だから学ばなければ…、といった動機で学び始めることが少なくないわけだけれど、場合によっては、どうにか今を打破したい、だから学びたい、でも何を?で大いに悩むことになる。

 

そんなときに役に立つ、よって立つよりどころなのは、実は「今知っていること」。今知っていることのその考え方、パターンは、かなりの種類の考え方があり、それらを当てはめることで、まだ理解されていないことを理解することに大いに役立つ場合が少なくない。…というか、事実上これしか手がないのだ。

であるからこそ、知っていることをまず増やし、知らないことにおいて、それに知っていることを適応していく。

ただ、すべてがすべて、同一のパターンが適応できるとは限らない。となった瞬間に、このパターンではなく、別のパターンは?それでもだめならまた別のパターンは?と数ある考え方を当てはめていく。結果、何かに当てはまればそれを同一のグループと理解し、もし当てはまらなければ、それこそが新発見となりえるということ。

 

要するに、知らないことを知るためには、知っていることを増やすことが重要になるという、ちょっと逆説的な結果状況。

だからこそ、知らものを探すために、知っているパターンを増やす。そしてそのピースが「あてはまらないことを見つけること」こそが新しい発見であり、大きな進歩につながる一歩になる。

 

だから、知らないことを発見しないといけないんだね。

そしてそのために、知っていることを増やさないといけないんだよねぇ。