喜びは苦しみとともに

何か新しい発見をしたり、真の価値を生み出したりした時、自分の中に閃光のような、ひらめきのような、よしっ!やったぞ!というものが沸き上がったりする。

これでビジネスになる!、大きなブレークスルーになる!、一気にトップに立てる等々、様々な思いが駆け巡る。

夢は膨らむ。

これを契機にこうして行きたい、ああしたい、ここをこう改善してこんな未来を作りたい。

 

…と同時にたぶんその価値が大きな価値であればあるほど、たぶん見つけたこと以上の大きな苦しみが付きまとう。大きな価値が生じるとき、大きな発見がなされるとき、ほかの人々はそれがあまりに突飛すぎて、難しすぎて、理解できない、納得できない事が。どうして今までと違うのか?なぜそれが面白いのか?どこにそんな価値があるのか?たぶん価値が大きければ大きいほど、多くの人にはわからないのだ。逆に言えば、わからないからこそ価値が高いとも言える。

 

しかし、誰かに認められてこその「価値」であるから、誰にも分らないものでは「世間的な価値」にならない。だからこそ誰かに認めてもらう必要がある。そのために噛んで含んで懇切丁寧に説明し、もしくはそんな手間すら省いて自分で大きな何かを生み出して事業に仕上げてしまったり、仕事を成し遂げてしまったりと、抽象ではなく具象で決着をつける人もいる。が、それは行動力とお金と時間といった三拍子そろっている人にしかできないこと。

 

新たな時代に変わるとき、新たな価値が生まれるとき、新たな事象に切り替わるとき、新たなビジネスが起きるとき、それはやってくる。そしてそれはたぶん、既存の組織や既存の理解ではわからないものであり、「既存」によって、当初は変わり者扱いされたり、変人扱いされることも多々あるだろう。

でもそうして本当の価値を生み出した者が初志貫徹することにより、時代やテクノロジーが変化する。だからこそ彼らは大きな富を手にしたりするのだけれど、そういう人に限って、単なる「富」は必要なく、さらに新しいこと、もっと面白いことのほうがよほど「富」よりも価値あることになるんだろう。

 

来年はどんなことができるかな。どんなものが出て来るかな。

まだ、興味は尽きない。