効率、リスク、判断

先週の関東地方の雪。確かに短い時間でかなり積もったことで、大きな混乱を生み出した。2cmも積もれば交通マヒを引き起こす都会で、10cmを超える規模での積雪は、当然の大混乱。

 

なぜ地方、特に日本海側の地方ではそれほど雪が積もったとしても都会ほどの混乱を引き起こさないのか?様々な要因はあるだろうけれど、たぶんその要因の一つは、そうした積もった時に使うべき「余裕の空間、時間、費用」が準備されているのではないだろうか?

積もった雪をわきによけて一時的に置いておくスペース。除雪のための費用の計上、除雪になった際の切り替え時間やそのための訓練。普通に起きる、想定され、完全に避けることが難しい場合には、そうなった時でさえ出来るだけ普通に過ごせるための備えが「準備」されている。

都会でそれだけの予備費用、予備スペースをそれだけ用意しているか?準備できるか?といえば、事実上できない。そのくらい「日常の効率」を追及しているがゆえにその可能性が低いことへの備えのための費用、空間に回せるコストがかけられない。となれば当然、万が一(この場合は積雪)の際に、迅速に対応できる可能性が著しく下がるということ。

 

そう、日ごろから「すべての万が一」に対応する準備を進めることは、「万が一以外の時」には、まったくの無駄に映るということ。無駄コスト、無駄空間をどこまで許容するのか?逆に言えば予想されうるリスクの際の覚悟ができているか?ということ。

 

「雪が積もることを知らなかった」とは言わせない。だがそれに対する「十分な」準備をしていなかったのだから、それなりの不具合が起きるのは当然。それをどこまで個人として、組織として、社会として許容するのか、だ。

 

ある意味、今回はそれが事前からわかっていた、高い確率で予想できたがゆえに、「大雪警報」を事前に発令し、それをきっかけにして人々が早々に退社した企業、組織が多く出たことが、別のリスクを引き起こした。一気に通常の退勤時間が繰り上がった形となり、通常なら17時から22時くらいに分散されている帰宅民が、一気に15時から16時あたりに押し寄せたことで、雪でさえも混乱なのに、さらなる大混乱を引き起こしたということ。

ここまで頭に入っていたリーダーは、早々に午後イチで社員に退社を促したり、そもそも出社を見送り、自宅待機にさせた会社もあるだろう。

 

「みんながするから」と同じであることが激烈な競争や混雑を生み出す。日本の多くの場所で、「左右の行動を見て、みんながするから、みんなが動くのでそれなら…」と自分も動くという「自分で判断せずに動く」ことで、かえって個別に「より難しい判断」を迫られているという矛盾に陥っていないか。

 

やっぱり、人と同じで、周りがやっているから…を何とかしないと…。

自分で考えるしかないんだが…。

今週も木金、降雪予報が出ているようだ。